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一瞬の驚き ものをつくるということ

新宿区の舟町というところに、かつて小さな画学校があった。

アートの世界に強くあこがれていた私は、二十代の二年間、週に三日ほどそこの夜間クラスに通った。私なんかが通うことができたのは、選抜試験がなくて授業料も安かったからだ。

生徒募集がはじまるというその日、私は早起きして豪徳寺から電車に乗った。都営新宿線の曙橋で降りたあと、どんな街並みをどのくらい歩いたのかは思い出せない。憶えているのは真っ白な校舎に外階段がついていたことと、その佇まいがあまりに瀟洒で、外国の街角に紛れ込んだかのような気分になったことだけだ。

しんと静かな朝だった。受付の開始時間にはまだ早く、入口の扉には鍵がかかっていて、私と同じくらいの年格好の男女が外階段に数人並んでいた。

やった。これなら入学できる。

先着順で入学できることになっていたので、私はその場で小躍りしたくなった。

校舎の扉を開けて中に入ると吹き抜けのロビーで、受付の窓口がすぐそこにある。この日のために貯めていたお金をそこで渡し、ロビーに並んだ画材を受け取った。スター絵具、ナムラの水彩筆、パレット、木炭、イーゼル。それまで学校の美術で安い画材しか使ったことのなかった私には、アーティストへの切符のように思えてしまうような道具ばかりだった。

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二十号の絵筆の毛の手触りはとてもなめらかで、やわらかだけどちゃんとこしがあって、なんだか小動物の短いしっぽのようだった。その筆に絵具をつけて紙の上を走らせたときの感触は、中学や高校の美術の授業で水彩画を描いたときのそれとはまったく違っていた。紙に筆を押し当てたときの弾力のあんばい、右手に返ってくる圧の強さの加減が心地よい。絵具に濡れた筆先が指でそろえたように自然にまとまる。指から先に生きものがつながっているような感覚がある。

私はアーティストになりたかったわけではないし、なれるとも思っていなかった。
けれど、アートの世界の隅っこに少しのあいだだけ身を置いてみたかったのだ。

高校生のころ美大に淡い憧れをもっていた。
が、小さい頃から絵を習っている人でないと入れないところだと思い込んでいたので、志望校欄に美大などと書く度胸もなく、まったく別の道に進んだ。
それでもやはり憧れた。
だから大学生のときに目一杯アルバイトをしてお金を貯め、舟町の画学校の入学金と授業料をつくったのだ。

こじんまりした学校だったけれど、卒業生には名の通ったイラストレーターやデザイナーが何人もいた。授業料が安いのは学校法人にしていないからで、お金のない若い人たちが思う存分絵を学べるように私塾にしたのだと、創立者である画家のS先生がおっしゃっていた。

生徒は絵やデザインの仕事を目指す二十代が多かったけれど、着物のデザインをしている三十歳くらいの人もいたりして、均一ではない空気の流れている感じが心地よかった。私と同い歳の大学生もふたりいた。ひとりは広告代理店に入りたいという人なつこい男の子、もうひとりはエルビス・コステロが好きだという地味めな女の子だった。

絵具や絵筆やイーゼルには確かにときめいたけれど、私がいちばん好きだったのはクロッキーの時間だった。毎回、授業のはじめの十分か十五分くらいがクロッキーだ。

広い教室の真ん中にモデルが歩いてきてポーズを取る。生徒たちはどの方向から描くのかを決めるため、画板と紙と鉛筆を持ってモデルのまわりをうろうろする。まわりに自然と生徒の輪ができる。位置を決めたら体がぐらつかないように両足を開いて立ち、体を固定する。腰に画板の底辺を当て、画板の上辺を左手で持つ。それから右手で鉛筆を構える。先生の合図とともに私語がやんで静寂がやってくる。

細い絹糸のような静けさがぴんと張り、鉛筆のさあさあ走る音が流れはじめる。

その瞬間がとても好きだった。

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モデルはいつもとびきり細い子だ。女の子のときもあれば男の子のときもある。
数分ごとにポーズが変わるので、私たちは瞬時にからだのかたちを把握して描いてゆかねばならない。鉛筆に勢いが出るから線にも勢いがでる。

生徒が描いているあいだ、S先生は輪のまわりをゆっくり歩きながらクロッキーをひとりずつ見て回る。私のところで先生が立ち止まり、しばらく見つめていたりすると、これはまずいのだろうか、それともまずまずの出来なのだろうか、どちらなんだろう、とドキドキする。先生はいつも何も言わない。

ときどきクロッキーに加わるS先生は両足を思い切り開いて低く立つ。モデルに負けないくらいスリムな人で、とうに還暦を超えているけれど、いつも細身のパンツをはいてキャップをかぶり、サングラスをかけている。足を大きく開いて迷いのないようすで鉛筆を動かすその姿には、群れず、媚びず、焦点の定まった人生を送るひとに特有の、孤のうつくしさ、みたいなものが漂っている。

たまに裸体のクロッキーをすることがある。画学校なんだから裸体モデルが登場するのは当然なのだけど、慣れないうちは目のやりどころに困る。
真正面にはどうしても立てない、とくに男性モデルのときには。
「やっぱドキドキするよな。おれ、どこ見ていいのかわかんなかった」
女性の裸体を初めて描いた日、広告代理店志望の男の子が困ったような照れたような顔で私に言う。

クロッキーは対象をすばやくキャッチして、その印象を生き生きと表現する絵画制作の準備運動、最初期の段階の作業だ。
いわば紙の上に残された、対象の一瞬の記憶のようなもの。

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クロッキーをたよりに最終的には彩色した作品を仕上げることが目標なのだけど、私はクロッキーの時間が好きすぎて、石膏デッサンや水彩画にはいまひとつ身が入らない。いつまでも立ったままで紙に鉛筆を走らせていたい。

とにかく鉛筆でたくさん描いてみたい私は、学校で売っているのよりも安い紙を探しに神保町に行く。細い通りを歩いてたまたま見つけた古いビルの二階、薄暗い画材屋に、ちょうどいい紙をどっさり発見する。キャンソンとかワトソンとかマーメイドみたいなちゃんとした名前もついていない、ただの無名のオフホワイトの紙を。
それをひと束買い、アパートの部屋で自分の手や足を描いてみる。

なぜそんなにクロッキーが好きだったのだろう。

まず、疾走する線が快かった。
短時間で体のかたち、そのひとが発する印象をとらえて紙の上に再現しなくてはならないから、手が思い切った動きになる。躊躇するのをやめて、自分をオープンにして手を動かすようになる。それを繰り返すうち、おどおどしない線が出てくるようになる。おどおどした線は、あとで見たときにとてもつまらないけれど、自分をぱっと開いて、思い切りよく描いた線は見ていて爽快だ。

思い切りよく描くことと雑に描くこととは違う。
スピーディに鉛筆を走らせはするけれど、モデル特有のかたちや質感をどこかで見つけたら、そこはちょっと足踏みをする。ただ走るだけでは上滑りなものしか残らない。

人間の体の線はとても不思議だ。
私たちは普段ひとの体の線を、たとえば漫画とかイラストなどを見て「こういうもの」だと決めつけていないだろうか。けれど実際にほんとうの人間を目の前で観察すると、思いもよらない線やかたちが紙の上に出てくることがある。人間の体に予定調和などない。

たとえば指先の反り具合。足の甲の盛り上がりかた。肩甲骨の出っぱり具合。服のしわの流れ。横顔にほんの少しのぞく、そのひとの内面の表情のようなもの。

予想外の線の発見もまたクロッキーの魅力だった。

私はいま俳句にとても興味をもっている。

五七五の短い言葉の組み合わせで景色や音や感情を雄弁に語る俳句。
俳句は言葉を削ぎ落とすことによって読み手のイマジネーションに働きかける表現形式だ。書かないことのむこうには広く大きく豊かな世界が広がっている。

言葉はただ多ければいいというものでもなくて、少ないからこそかえって豊かに、饒舌に何かを語ることもある。
俳句は目の前にある情景を切り取ったもの。一瞬の驚きをとらえて言葉にしたものだという説明をよく聞く。
それが何かに似ているとずっと思っていたのだけれど、先日その何かにはたと思い当たった。

クロッキーは俳句に似ているような気がする。

一瞬の驚きを言葉のかわりに線で表しているのだから。

指先の反り具合や、足の甲や肩甲骨のかたちや、服のしわや横顔の表情にはっと感じた何か。それらは「一瞬の驚き」であって、私はその驚きをなんとかとらえようと鉛筆を走らせていたのだ。


一瞬の驚き。そのとき心が感じた何か。
「心」というのは具体的、物理的にここにあると指し示すことのできるものではない。つまり体の中から取りだして、「はいこれ」と見せることのできない無形のものだ。

かたちがないのだから、「心が動いた」と言ってもそれは比喩でしかないわけだけど、何かに出会ってはっとしたとき、胸のあたりのどこかよくわからない部分が物理的にコトッと動いた感じがして、あ、いま心が動いた、と実感することがある。

この「動く感覚」が、ものをつくるときのスタート地点じゃないかなと思っている。
動いたものの正体をつきとめて、かたちにしたいという衝動みたいなもの。



定期的に書きつづけることで筆力が上がることは確かにあると思うけれど、ただ書くことだけが目的化すると大切なものを置き忘れてしまいそう。
書くために書くというループにはまるのだけは用心しなくちゃ。
とは自分への戒めも込めて思うこと。



(追記)
ところで私は俳句をはじめたいなあと思ってるのですが、おすすめの先生やサークルをご存じのかた、教えてくださいませんか? なるべく幅広い年齢層で、つながりのゆるやかなサークル、探しています(オンラインでも参加できるところ)。私は俳句はまったくの素人なんです。

こんなに言葉が溢れているなかから、選んで、読んでくださってありがとうございます! 他の人たちにもおすすめしていただけると嬉しいなあ。