見出し画像

強さじゃなくて。

「強いクリエイターになること」って、「技術的だけじゃなくて精神的にも人間離れしていくこと」なのかなあ

というある方の呟きを聞いて思ったこと。
別に精神的に強くなる必要はないと思うんだよね。

「精神的に強い」って無痛覚にならないといけない感覚や感情を表現してはいけないという抑制であるような気がして。
それって「感性」の活かし方と逆方向へ行ってしまうと思う。
実際に私にはそういう時期があった。

でもそれとは別に精神的なダメージを減らす必要は確実にある。
それは作品が批判された時に人生や人格全てを批判されたように思うこと。
いや、全生命かけて作品を作るんだから当然なんだけど…
何が嫌で何が悪かったのか…
作品だけで人生や人格は悪くないとか、作品のここは良いけどここが悪いとか。

「切り分ける」能力が必要なんだと思う。

これは世間一般で持ち合わせていない人が多い。
だってプライベートで何か起きれば仕事奪われる世の中なんだよね?ワイドショー見る限り。
たとえそれが刑法における犯罪でなくても。
それはひとりの人間は全てまあるく完璧じゃないと認めない人が多い証左。
ひとりの人間をここは良いここはダメって言えない、ダメなところがあれば全部ダメ。
コレが一般的なものの見方。

でもこれをやってると、すぐにクリエイターの心はズタズタになる。
間違いなく。
全生命かけて作った作品に、片手ひとつで「低評価」付けただけでクリエイターは殺せるよ。マジで。

だからこそクリエイター側は「切り分ける」能力が必要になる。
批判する側は全生命ごとアラを探して否定してくる。
それは作品でもプライベートでもちょっとした失言ですら良い。

殺されないためには「何に」言われたのか冷静に考えて
ならば、どこを切り離してもらうか考える。
プライベートを批判されたなら作品は安泰だ。
作品を批判されても人物は問題ない。
そう考えていくと、傍目には「無痛覚」に見えるかもしれない。
なぜなら何を批判しても否定しても「ひとつ」に向かってる意識しかないから。

でもそれが身につくことでクリエイターには利がある。

感性は生き続けること。

えっらそうに書いてるけど、これ自分のために書いています。
そう、片手ひとつで低評価していくんすよ、奴ら。笑
それで人生も人格も終わるくらいの感受性を、こちとら持ってるんすよ。

でも。
ゼロからイチにする側のほうが、絶対これから先、幸せになる。
だから私は作り続けるために「強いクリエイター」であろうと思った。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。