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「感じる」や「感情」は無視をし続けちゃいけない「ある種の理論」だと思うんだ

イラストを描く人つかはらです。
ようやく本日をもって開業から2年がたちました。…なんとか。

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「感性」を研ぎ澄ませば「感じる」や「感情」は「ある種論理的」に発動する
ということを最近よく考えています。
だからこそ「感じる」ことをなくしてはいけないと思うし
「感じる」ことを無視するから「マウント合戦」や「非難だけの批判」みたいな
「人が人でいること」を置いてけぼりにしたような社会になっているんじゃないかと思います。

私が開業の頃の2年前に触れた言葉で今でも時折思い出すこと。

まず「感じる」からはじまる。
「感じる」は「思う」になって、
「思う」は「考える」になり、
そして最後に
「考える」から「行動にする」に至る。
ー糸井重里

「感じる」が最初にあることを、今でもずっと大事にしています。
最近読んだこちらの「アートとビジネス」の関係性の対談でも似たようなことを感じました。

「現代人は思考停止になる前に、感情停止になっている」と。
だから、感情を動かすためのひとつのソリューションとしてアートは良いと思いますね。
ーNewsPicks CCO 佐々木紀彦
みんなエグゼクティブになってからアートに触れようとするんだけど、
その時点でアートについて一から教えないと分からない状況で、それでは遅い。
審美眼は若いころからやらないと大変なんです。
ー落合陽一

ロジカルに選び出されるすべてのものは、もうほとんどが一般化していて新しく選び出すことが難しくなっているんじゃないかって思うんです。
だからこそ「感じる」だったり「感情」がビジネスにだって必要になってくるんだと思います。

芸術肌は「やりたいこと以外はやりたくない」とある人と先日話していました。
それはあながち間違いではないと思うんです。
そういう人がいるかどうか、という「間違いではない」のではなく
「やりたいことしかやらない」という選択肢が間違いではない、という意味です。

芸術肌の人って自分も含めて「感性」を針の先ほど尖らせて、そこに一度に多くの情報を集めてるような人だと思います。
それは落合氏がいうところの「審美眼」の部分。
つまりそれほどまでに「感性」が研ぎ澄まされているんです。
だから、「芯」によって「やりたい/やりたくない」と言っているのであって
「一般的な感情論」で「やりたい/やりたくない」と言っているのではないと思うんです。
「感情」を指針にするほど「感性」を研ぎ澄まして、自分と合うものを選んでいるんだと思います。

もちろん感性を磨いてない「やりたい/やりたくない」はまた意味が違います。
だから「感性」を磨いて「審美眼」をもつことが必要なのでしょう。

私の例であげるとある場所を辞めて「さみしい」と感じたことを「そんなことを感じなくていい」と否定されました。
そのおかげで「さみしかったのは、なぜか」ということに気づくのが遅くなってしまったんです。
本質的問題は「定期的な相談相手の減少による事業停滞(への不安)」でした。
それに気づけなかった結果、間違った判断をいくつもしてきてしまったのです。
「お別れがさみしい」という「ただの感傷」としか捉えられないと
自分の本当の問題が曇ってしまう結果になったのです。

こういうふうに私にとっても、ふとした「感情」は実は「大きな問題」を教えてくれているものです。
それは私が30年間研ぎ澄まし切った「感性」だからこそ、手にできる「感情」の姿が「審美眼」なのだと思います。
単なる1つに対して1つの答えではなく、積み重ねなんだと思うんです。

たとえば、すべての事を「否定的に感じる」のは
そういう姿である「感情」を「感じなくていい」「それは甘えだ」といって否定され続けた結果です。
「感情はいいから動け」「やればいい」というのはまったく問題解決には至らないんです。
「感情」というのは「判断」のひとつだから。
「感情」のない「動く」は単なる「動作」であって「行動」ではないから。

否定的なことを「感じる」こともある。
それを「感じなくていい」と切り捨てるんじゃなくて
そうマイナスに「感じる」ことをなくすためにはどうすれば良いか「考える」のが大事だと思うんです。
その上で「行動する」までできればいいんじゃないかなぁ。
「感じる」ことを否定するんじゃなくてそこから出発するのが大事だと思います。

私にとっても「感じる」や「感情」は最初の「問題提起」です。
「感じる」「感情」から「考えて」解決を探り、解決方法を「行動する」ことが
新しい何かを生むことに繋がっていく
んじゃないかと思っています。

「感性」を磨くことは「感情」に振り回されることではありません。
自分の声を、自分がいま何を「感じる」かを、ちゃんと聞けるようになること。

もっと「感じる」が大事にされて、「人が人でいること」を大事にできたらいいなと思いました。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。