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プロ野球観戦、もう一度始めました 後編(自己紹介的推しチーム遍歴)


反抗期はなかったけど、「打倒・西武」に

前編では、小学生まで応援していた西武ライオンズから、ライオンズ"じゃない方"のチームの応援に心惹かれてしまったお話でした。
じゃあ、そのまま翌年から阪急ブレーブスを応援したかというと、そういうわけではなかったのでした。


マコトとユキオ

部活で一緒だった友達のマコトくん。毎日、部活が終わると、帰り道、自分の家に寄って小一時間ファミコンやって帰ることが多く、ある日、野球観に行こうとなり、観に行ったのが日本ハムファイターズ。高田繁監督で、西崎幸弘選手、松浦宏明選手、津野浩選手の投手陣に強烈な外国人助っ人(トニー・ブリューワ選手やマット・ウインタース選手とか)がいた時代。外野席の長椅子でバット型メガホン持って応援していると、「声出して応援してくれるならココ座っていいよ」と応援団の方が声をかけてくれました。当時、中学生としてはものすごく嬉しかったのを覚えています。
当時の先頭バッターは島田誠選手、売り出し中のショートは"コユキ"こと田中幸雄選手。後のミスター・ファイターズ。
島田選手のコールは"マコト"、幸雄選手は"ユキオ"だったこともあり、たびたび日本ハム戦にはマコトくんとよく行きました。
高校受験で勉強一番がんばらなきゃ行けない89年には、打倒・西武を近鉄バファローズが果たします。ラルフ・ブライアント選手の西武ライオンズとのダブルヘッダーでの4連続アーチ。
ラジオで文化放送ライオンズナイター聞きながら勉強するも、ながら勉強では実に入らず、西武の選手がホームラン打ったり、西武が勝てば2階の勉強部屋から、打ちあがる花火が見える。そんな環境でしたから。
阪急、南海が球団運営権を譲渡、オリックス、ダイエーに決まったのもこの年でした。

ブルーサンダー打線

県内の公立高校に進学。阪急ブレーブスはオリックスブレーブスとなり、ユニフォームもネイビーとイエローに。これが当時カッコ良くって。
西武球場では当時、内野自由席の奥の方にオリックスの応援団が陣取ってまして、3歳年下の弟のライオンズ友の会の会員証を借りて入場してました。すいませんでした。
オリックスブレーブスの功績は、南海ホークスから門田博光選手が加わった強力打線、ブルーサンダー打線と呼ばれた打撃陣。今でいう西武ライオンズのスモールベースボールの真逆を行く編成。ホームランは野球の華だと思っていた当時の私は心奪われました。
松永浩美選手がお気に入りでしたが、ブルーウェーブにチーム名を変更となったシーズンにはトレードで移籍。それでも星野伸之選手、中嶋聡選手、小川博文選手、高橋智選手、渋いところで山森雅文選手など好きな選手もいて、"イチロー前夜"まではブルーウェーブを応援していた気がします。

ネットがなくて良かった時代の千葉ロッテマリーンズの西武球場での応援

運良く大学生となった。
高校時代よりもずっと行動範囲が広がるも、基本、西武球場での試合観戦がメイン。
そんな外野スタンドで野球以外が抜群に面白かったのが、千葉ロッテマリーンズでした。ファンクラブに入会するとユニフォームシャツがもらえる走りだった千葉ロッテマリーンズ。最初のボビー・バレンタイン監督の95年から真新しいピンストライブのユニフォームシャツが貰えたのが良かったし、野球観戦に行きつつも、まわりのファンもネタとして面白かった。野球場で観戦仲間というか、「いつも来てる人たち」と仲良くなったのも西武球場の外野席でした。当時は自由席でいつも来ている人たちはだいたい同じ場所に陣取ってるから、何試合か通って声掛ければ、すぐ仲良くなれたんですよね。
なかなか今は全席指定でそういう機会は少ないよなぁと思います。いまでもX(旧Twitter)で当時の観戦仲間と繋がってたりしますが、そのままロッテファンを続けてるかというとそうでもなかったりしますね。
00年代はマリーンズの応援に称賛の声が多かったですが、この頃の西武球場でのロッテの応援はネットがなくて良かったと思えるような炎上案件を含む、楽しい応援でした。
バレンタイン監督が2位に押し上げたものの、解任。しかし躍進により新しいファンも増え、応援スタイルの改革や、一方で仲の良かった応援団が解散したことにより、ロッテからは離れてしまいました。

90年代後半からは日本ハムファイターズを軸に野球観戦となりました。
巨人戦とは違い、座席を一つずつ開けて余裕で座れる東京ドームの外野席。早く行けばだいたいいつも座る席は空いていて、交友関係も広がったり。
ファンクラブに入会すればレプリカユニフォームやネックストラップ、外野自由席券が15枚綴りで貰えたりして、超破格!東京時代の末期の話!
すでに社会人として食品スーパーの店員として働いており、入社2年目には前半戦から首位を走る日本ハムファイターズ。初代・ビッグバン打線でこのまま突っ走るかと思いきや後半戦大失速。
精肉部門のファイターズ"応援感謝セール"の販促物は実家にあり、ナイジェル・ウィルソン選手、ブリトー選手、田中幸雄選手、片岡篤史選手、西浦克拓選手や岩本勉選手が掲載されてました。
81年以来2度目のリーグ優勝の可能性が残っていた西武との3連戦。優勝した場合→シャウエッセン50%オフ、優勝逃した場合→応援感謝セール、シャウエッセン30%オフというFaxが会社の営業本部からリリースされてました。社外秘。
田中幸雄選手も好きでしたが、西浦克拓選手が自分と同い年で大好きな選手でした。
いや、本当はそんなに好きではなかったのですが、ある日の2軍戦で、たまたま買ったスポーツ新聞に横浜ベイスターズ、長見投手(そのほか五十嵐投手)とのトレードか?という記事が掲載。その試合で西浦選手はホームランを放つ活躍を見せ、俺、引退するまで西浦を応援するわ、俺たちには西浦が必要だ!と何かの使命感にかられ、推していくことを決意。
西浦選手は、いわゆる"松井世代"で、数少ない高卒新人のひとり。上宮高校からドラフト5位で入団した西浦選手は、長いことファームで鍛えられ、プロ入り4年目の1998年に大ブレイクします。上田利明監督率いるファイターズは強力打線でペナントレースの台風の目に。世に言う"ビッグバン打線"の誕生です。
初代・ビッグバン打線では落合博満選手から彗星のごとくレギュラーを奪った選手が西浦選手で、前半戦で16本塁打を放つ活躍を見せます。しかし後半戦、これまでの活躍が嘘のように、まるで魔法が解けてしまったように三振の山を築き、2位と最大10.5ゲームあった差が終わってみれば首位西武ライオンズと3.5ゲーム差の2位という大失速でペナントレースが終了。
翌年以降は打撃を取り戻すことが出来ず、ファームでの出場が多くなってしまいました。
今いえるのは、自分にとって西浦克拓選手が一番の推しの選手、でした。
朴訥としていて、人として生き方が不器用というか。ファームで頑張る西浦選手を観て、俺も頑張ろうって勇気貰ったり。
2002年には日本代表として第17回アジア選手権で4番をつとめたり、北海道に移転した04年には開幕一軍スタート、以降も05年の引退まで応援できた、と思いたいです(引退後は関西独立リーグ、大阪ビリケーンズで打撃コーチに就任も、翌シーズン、野球賭博で所属選手数名が契約解除となり、登録人数が不足したためコーチ兼任で現役復帰も引退。8年前の情報では大阪市内の整骨院に勤務とのこと)。
ついでに言うと、スタジアムで知り合った女性ファンに恋してしまい、失恋したりといろいろ青春だったなぁと振り返れるチームであり、応援団の方にも知り合いが出来たチームでもあります。鎌ヶ谷スタジアムにも幾度も足を運んだり、東京時代のファイターズには思い出が沢山つまってます。
また行かねばとは思います。
ファイターズが優勝するのが先か、自分が結婚するのが先か、とそれまでそんなに強くなかったチームが、まさか06年に優勝するとは思いもよらなかったし、10年代には常勝チームになるとは…。

しばらくは細々と野球観戦を続けていましたが、アイドルヲタクになったことや、CSチャンネルやネットや動画配信などでいつでも野球観れるしと思ってるうちに年1、2試合、球場へ足を運ぶ程度になってしまいました。

度重なる縁で、今、読売ジャイアンツを推す。

アイドルヲタクをやっていて、推しのグルーブのメンバーが東京ドームに巨人戦観に行ったら楽しかった、という話になり、野球初心者でも楽しめる巨人戦ってどんなだろうと興味が沸いてきたのが2年前。
23年のシーズンには巨人を応援することから始めようと思い、年明けからファンクラブに入会。スマートフォンの読売ジャイアンツ公式アプリ、GIANTS Appをインストール。趣味のユニフォーム収集の一環として、オーセンティックユニフォームを注文(これはやりすぎ)。
いろいろファンとして、観戦準備をすすめ、2023シーズンからは読売ジャイアンツファンとしてプロ野球観戦に復帰しました。
ジャイアンツファンとしては初心者だけど、野球観戦に関しては経験者。
なにより一年間、さまざまな形で観戦、シーズンを飽きずに完走できたことで自信がつきました。
またいずれ、読売ジャイアンツの魅力について記事にしたいと思いますが、ざっくり言うと3つ。

・読売ジャイアンツはなんだかんだで情報量が12球団一であること。
・1軍、2軍だけでなく、3軍や女子野球と幅広い活動をしている球団であること。
・地元から育成ドラフトで入団した選手が在籍していること。

12球団あるうちの1球団であるのですが、ジャイアンツの持つブランド力は意外とまだまだあるんだなぁとファンになってから痛感することがありました。またいずれ。

本当に長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

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