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【会計を知らずに仕事をする】

『とりあえず生2つ!』

金曜日で賑わう繁華街。
大きな通りから一本外れた居酒屋で山田は、前の職場の上司だった鈴木と一緒に乾杯した。


『最近、営業成績バツグンらしいやん!』



鈴木がおしぼりで手を拭きながら言った。



『いや〜、そんなことないですよ』


山田は頭をかきながら謙遜して言った。

山田の営業成績は営業部の中でもダントツだった。山田は入社7年目の29歳。

元々エンジニアで入社して設計部で働いていたが、2年前に営業部に異動。

鈴木は設計部時代の上司であり、山田を異動させた張本人である。

『山田が営業部に移ってすぐは、目死んでたもんな〜』

山田は返した。

『あと頃は半分鬱やったかもしれませんね笑
設計と営業は全く違う仕事でしたから。全然慣れなくて…』

『でも慣れるとどれも同じ仕事やろ?』

『そうですね。仕事の全体像とキーポイントがわかり、お客様との信頼関係が築けるようになると、色んなことが回り出したような気がします。もちろん、まだまだ課題は多いですが』

鈴木は、山田が設計部にいた時より一回り大きくなったように見えた。


『ところで、少しは会計勉強してるか?』

『えぇ、まぁ』

山田は言葉を濁し、ビールを流し込んだ。

『してへんやん笑 山田はウソつけへんタイプやもんな〜』

『勉強しようと思って本買ったんですが、どうも面白くなくて… 鈴木さんに【会計だけは勉強しとけよ】って言われたのは覚えてます。しかし、会計を勉強しても営業成績が上がるとは思えません。会計の勉強なんかするより、目の前の成果をあげる方が大切だと思うんですが…』

山田は自分の意見をハッキリ言うタイプだ。

『相変わらずやなー、山田は』

鈴木は笑いながら言った。
ビールを一口飲んだ後、続けた。

『山田はフィギュアスケート見ることあるか?』

『たまに観ますよ。羽生結弦とかすごいですもんね。ルールはあんまりよくわかってませんが。フィギュアスケートと会計関係あるんですか?』

『フィギュアスケートの地方大会ぐらいなら、採点基準が知らんくても、めっちゃ練習すれば優勝できるかもしれん。けど世界の一流選手が集まるオリンピックでは、採点基準を知らんと優勝できる選手はおらんねん。

 仕事も同じ。会計の勉強しなくても成績はあげられる。けど、プロとしてビジネスの世界で仕事をする人間が、会計の仕組みを知らずに一流にはなれない。

 例えば、事業の成果をはかる指標のROE(自己資本利益率)が大切にされているが、なぜROEが大切なんか、山田はわかるか?』


『いえ、わかりません』

『じゃあ、もうちょっと簡単に。企業の会計でなぜ収支計算書を使わないんやろ?』


『収支計算書?』


山田は、『何が言いたいんだろう?』というような顔をして聞き返した。


『そう。『収入』『支出』『残高』の3つの欄に分かれた収支計算書や。
お金に関連する表としては個人も組織も収支計算書を使っている。お小遣い帳も家計簿も収支計算書だし、国や県や市町村も『歳入』『歳出』という収支計算書を使っている。なぜ、企業だけが収支計算書を使わないんやろう?』

『損益計算書(PL)が収支計算書と同じものじゃないんですか?売上から費用を引くと利益になります。
これは収入から支出を引いたら残高になる収支計算書と同じものだと思いますが』

『おいおい、山田はもう30歳にもなろうとしているのに、まだそんなレベルで仕事をしてるんか。損益計算書と収支計算書は全く異なるものやで。じゃあ、もう一つ質問してみよう。会社にとって大切な数字は何やろう?』


『もちろん、売上と利益です』


山田は、この質問には自信満々に答えた。


『ちゃうわ。確かに売上と利益は会社にとって大切な数字やで。けど、事業全体のプロセスを考えれば、売上と利益はその一部でしかない』


『会社にとって、売上や利益より大切な数字があるんですか?』

『売上や利益より大切な数字と言うよりは、売上と利益の観点だけで仕事をしていると視野が広がらない、と言ったほうがいいかもしれんな。山田を営業に出した理由を少し話しておくわ』

『お願いします。異動の内示があったときは、鈴木さんに捨てられたのかと思いましたよ』

 山田は言ったが、お互いに異動の理由がそんなことではないのはわかっていたので、顔を見合わせて笑った。

『山田には期待してる。一流のビジネスパーソンになってもらいたいと思ってる。一流になるには、目の前の仕事で成果をあげるだけでなく、物事を広く高い視点で眺められるようにならなければならない。そのための道具として会計はとても有効なツールや。会計を知らなければ、資本主義社会におけるビジネスの意味はわからん』

『大きな話ですね~』

『黙って聞け!これから山田はもっと大きな商談をするようになるはずや。そうなれば、営業の相手は部長や社長といったクラスになる。社内でもマネジャーになり、役員になっていくかもしれない』

『かもしれない、ですか…』

『そりゃそやろ。そのクラスになると運もあるからな~』

『そうですよね』

『ただ、社内の職位とは関係なく、山田にはどこに出ても一流と言われるビジネスパーソンになってもらいたいと思ってるで』

『ハイ、頑張ります!』


鈴木は元部下の期待とともに笑顔を見せたが、すぐに苦い顔をした。


『欧米に出張に行った時、欧米の経営層と日本の経営層のレベルの違いにびっくりしたわ。
 日本人は大卒一律採用でヨーイドンでスタート、部長クラスまでは売上と利益しか見てない人が少なくないねん。けど、欧米のビジネスエリートは入社のときから経営者予備軍として採用される。彼らは若いうちから子会社の社長になり経営を任されて育っていく。つまり、売上と利益だけでなく、もっと広い事業全体のプロセスに責任を持ちながら育っていくんやで。
 その事業全体のプロセスが会計の数字で表されているんやから、彼らは会計に関する知識も豊富や。山田も是非若いうちから会計を勉強して、広い視野と高い視点を持ってもらいたいと思う』


『そうなんですね、ありがとうございます』


『硬い話はこれくらいにしようや。また、近いうちに会計の勉強の仕方教えたるわ。山田は会計の本読んでみて、会計は難しい分野だと思ったかもしれんけど、会計の仕組みは基本的にシンプルや。設計の仕事と営業の仕事の基本が同じように、世の中のことはどれも基本はシンプルやで』


『設計と営業を経験してみて、鈴木さんが言ったこと、なんとなくわかるような気がします。楽しみです!』



そのあと、2人は思い出話に花咲かせ、夜の街へ消えていった。

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