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僕の精神疾患が寛解に至ったストーリー

どうも、ゆち です。
この記事に興味を持って開いてくれてありがとうございます。
さっそくですが僕の精神疾患のストーリー、見に行きましょう。

先にざっくりまとめます。
このページでは、以下の内容を具体的に書きます。
・17歳で統合失調症発病
・10代~20代半ばまではすべてノーヒット・ノーラン
・20代半ばから変化し始める人生
・現在は寛解状態でたまに悩みながらも穏やかな暮らし
・未来について

長くなります。でも読んでくれたらとーっても嬉しい!
では、始まりますよ~。


17歳某日夜中、部屋にあるカッターで左腕を切った。
痛かった記憶がある。血が温くたくさん流れた。
翌朝洗面所で血を洗い流しているところに突然現れた父親
「なにそれ」と一言。
僕は「切った」とだけ返した。
それから数日後に精神科へ連れていかれる。
疲れるような問診を長々とされた結果言われたのは、
「統合失調症です」(のような言葉だった)

何かスッキリした感覚。
「あ、自分がずっと困っていたのは病気だったんだ」と安心すらある。
でもそれからの日々は大変だった。
投薬治療やカウンセリング、どれも退屈で苦しい。
幻聴や幻視もひどく、怖い。気分は鬱で最悪。たまに躁転して超活発。
身体を刃物で傷付けている時だけは気分が和らいだ。
学校にはだんだん行けなくなって、行っても学校のトイレで腕を切って我に返って保健室で手当てしてもらうようなことが日常茶飯事。
幸い、それまでの通学実績、成績に難がなかったから診断書を提出して高校は特別卒業。
校長室で友達だけ集まってひとりだけの卒業式をしてもらったことを今でもたまに思い出す。
恥ずかしくて涙を我慢したけど、泣いとけばよかったな、って。

卒業式が終わって校門を一歩出たら、自分が何者でもなくなる感覚が一気に降りかかってきた。
何も無くなる日々の始まり。
深夜まで音楽をただ聴いて、ネット掲示板に張り付いて、気が向いたら楽器を練習。
でも週3くらいは自力で起き上がれずに母親に起床・服薬の介助をしてもらったりしていた。
そんな毎日を21歳くらいまで続けていた。

21歳のころ
突然「バイトしなきゃ!!!!」となってできるはずもないのに無理やり体を動かす。
幻聴・幻視、周囲がぐにゃぐにゃに見えたりしてまともに働けるはずもなく1ヵ月続けばラッキーみたいなバイト生活を繰り返した。
鬱混じりの躁状態だったんだと思う。
病気であることを話したらそれを理由に解雇もあったし誰もが否定的だった
キチガイ扱いしてくる人が多かった。
しばらくして、耐えきれなくなりぶっ倒れて寝た切りになる。
腕の傷がどんどん増えていく。血管を切って9時間止血できなかったこともあった。

集中して休息に努めたから、22歳になるころは落ち着いていて、近所のライブハウスでバイトし始める。
接していて楽しい、面白い人、僕を否定しない仲間が久しぶりにできた。
人間関係の保ち方を勉強できたのはこの頃が初めてだった感覚がある。
つらい思いをすることもあったけど、大好きな音楽に携わっていることが救いにもなった。

24歳のころ
夏、突然一人暮らしを決意し、一人で部屋を決めて実家を出た。
実は家庭環境が悪かった。居場所がなかった
安心できない、恐怖と隣り合わせ、父親が何より恐怖の対象だった。
ここにもう居られないし居たくないと思い極まった挙句の衝動だったんだろうと思う。

一人暮らしを始めてからはコールセンターで働き始めた。
意気込んで入職。無理をしていたと思う
変に社交性があって自分を偽るのが上手くなっていた。
長い研修をクリア、現場入りする頃には無理が限界を超えて出社がどんどんできなくなっていった
電車に乗れない、会社の目の前で動けなくなる、欠勤連絡ができなくなる。
そんな就業状態を何社も繰り返した。
今思い返して、何であの時生活できていたのか、と不思議に思うときがある。
なぜ仕事に行けなくなるのか、暮らせなくなるのが怖い。でも働けない
お金がない。どうしたらいいのか、どう生きたらいいのかを常に考えていた
無駄ではないんだけど、無駄に色んな知恵がついた頃だった。
考えたことはとりあえず試したし行動した。
犯罪になるようなことは何もしてないからね!一応!ね!笑

その後20代半ばから30歳に至るまでは徐々に精神が安定してきた。
投薬がたまたま上手く合ったんだと思ってる。
この頃の処方は今の服薬のベースになってもいる。
仕事も暮らしもなんとなく上手くできるようになっていった。


ここからは最近の話。長いね。
読んでくれてありがとう!うれしいです。

僕は10代の頃からSNS等インターネットで交友関係を作ったり、「誰か」を探していた。
きっと、ずっと「助けてくれ」と叫び続けていたんだと思う
(実際に助けてとは言ってないよ!言ったことあったかな?笑)
30代に入って、その、ずっと渡り歩いてきた先にあったとあるSNSで、或る一人の人と出会った。
その人が、僕の人生にものすごい変化をもたらした。
ここからが僕の人生の始まりなんだ、と認識した。
逆に言えば今までの僕は死んでいた、そんな風に言っても差し支えないと思う。

その人は「生きること」を説いてくれた。
僕の「助けて」に人生史上唯一反応してくれた人だ。
まだ生まれたての僕は恐る恐るコミュニケーションをとっていた。
傷つくことも、不安なことも、全部受け取ってくれた。
ひとつひとつ丁寧に諭してくれた。
発見や閃きの連続。面白くて仕方ない。
骨は折れると強くなる、みたいなことを繰り返した。
かみ砕いて、飲み込んで腑に落として、反芻して、すべてが勉強になって僕を構成しなおして、アップデートされていく感覚。

伝えることの大切さ、心を尽くすことの大切さを理解した。
それからは、今まで関わってきた家族、友人みんなともより深く関われるようになった。

うーん、あまり話したくないな、もったいないな!笑
そんな風に思うくらいの宝物をくれた人なんだ、その人。
それで、あまりにも全部話すと長くなるし、読んだだけで分かった風にもなって欲しくないし。
あなたが、しっかりちゃんと自分のものとして携えていられるように、興味を持ってここまで話を読んでくれたあなたに、こっそり宝物のお裾分けしちゃいます。

それでね。僕が感じた衝撃をもってして、僕はあなたを助けたい、と思ったんです。思ってるんです。

きっとしんどい中生きてるでしょう。
誰も褒めてくれないような中、認めてくれないような中
頑張ってるのか頑張ってないのかわからない中
社会という広いような狭いようなよくわからない中生きてるでしょう。

大丈夫だよ。

助けるから!


僕が好きで憧れたバンドマンが昔ライブでこう言ってた。

「なんかあったら俺に言え!」

って。
僕もあなたに自信を持って、そう言うよ。

長かったね。僕の話しに付き合ってくれてありがとう。
もし困ってることがあったら、つらいことがあるなら、
これからを変えたいなら、僕を頼ってほしい。

あなたからのお手紙を、「助けて」を、待ってる。

僕の思いがあなたに届きますように。


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