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ゼノブレイド3は神様ではなく、世界と戦うゲームだった【ネタバレプレイ感想】

プレイ時間、127時間でクリアしました。歴代最長のクリア時間。

覚悟してたけれど、ボリュームが本当にギガギガギガ…ビックマックだった…永遠に乱立するクエストの数…。
1ヶ月以上のんびり遊んでいたんですが(※好きになってしまったRPGあるあるの「こいつらと別れたくなくてラスダンに行けない…」問題が発生し、永遠にエルディア海の大海を隅から隅まで漂ったり、クエスト片付けたり、ユニークを倒し続けていた)ようやくクリアをしまして、感動のエンディングに突き動かされるまま、こんな感想を書いてます。

実はプレイ中からネタバレまではいかなくても、評判まではツイッターなどで見てしまっていて、今回の6章~7章あたりが「1や2の後半の盛り上がりに比べたら足りない」「敵のバックホーンが1や2より語られなさすぎて物足りない」「ヒーロークエストの数に比べると本編が薄い」「結局メビウスってなんだったんだ?」「後半の台詞が抽象的すぎ」という感想もツイートで見かけたりしたあとだったんで、「自分は楽しめるのかな…」と、少しどきどきしながらラスダンに突入したんですね。(クリアした今はこの反応たちもわかる!と思いつつ、この感想は書いてます。)

結果、最終戦の演出~EDで私はバカ泣きしました。

いやほんと、自分でもこんなに泣くと思ってなくてびっくりしちゃって…(最終戦までは割と冷静にプレイしてました)
なんで自分はこんな感動したんだろう? 
考えてみたんですが、やっぱりこれはメビウスの解釈の仕方なのかなと思いました。
今回、ラスボスが抽象的な表現だったり、それぞれにメビウスがいるという表現できっと「メビウスって結局、なんだったんだろう?」「ゼノブレ3を他の人は受け止めたんだろう?」ということがプレイ後に思いながら、私のようにパブサする人がいると思ったんですよね。そう、ゼノブレイドは考察までもゲーム!そんな一緒のゲームをできた人と共有できればいいなという、ネタバレ前回の感想文です。


ゼノブレイドは神様ではなくて、世界を斬りにいくゲーム

ゼノブレイドがグノーシス主義に影響を受けている(というより根幹にある)のは有名な話であり、解説がたくさんあるので省くのですが、その知識を前提にゼノブレイドシリーズとは何か?と考えると、古今東西、JRPGで描かれてきた世界を統べる神様のような存在と戦う物語ではなく、世界そのものと戦う物語だと私は思っています。

なぜ世界は生きていく上で、苦しみや悲しみに溢れているのか?
本当に神様が世界にいるのなら、こんな苦しみや悲しみがある世界を神は作らないのではないか?
苦しみや悲しみに溢れている世界はそもそも不完全で、そんな不完全なものを作った神も不完全である。
人間の苦しみはそんな不完全なものを崇めてしまうからだ。

というのが簡単なグノーシス主義(だと思うんですが)この思想、めちゃくちゃ既視感ありますよね…?
そう、ゼノブレイド2です。あの世界観、そのものなんです。

愛する人と死に別れ、その悲しみが人を、シンを、未来永劫に縛り付け、
苦しみしかない生を与えている。
そんなものしか与えない世界も、それを作り出した神も、そもそも悪である。

だから2でメツは、私たちに言うわけです。
「酷い世界だろ、ここは!」って。
そして、そんな酷い世界を生み出す神すらも不要であり、だからメツは自分自身を悪と認め、世界を消滅させようとしたんですね。メツと戦うこと=、そんな苦しみや悲しみが連鎖する世界そのものと戦うことであり、レックスたちが出した答えは、苦しみや悲しみがある不完全な世界をそれでも生きて、受け入れて、戦い抜くことだった。メツにはそんな思想や哲学があり、どちらが正しくて間違っているかなどはない。だから、あのバトルはさまざまな人たちの記憶に残る最高のボス戦だったんだろうなと思います。

古今東西、善悪の二元論をRPGに落とし込み、世界を作り出してきた神と戦ってきたり、そんな世界に絶望する敵と戦い、世界を救ってきた話はたくさんある。
でもゼノブレイドの根幹にある、主人公たちが戦う相手はそもそも「世界」そのものなんです。

世界のそのものが敵。

そしてそれは、ゼノブレイド3ではじめからノアたちが突きつけられた言葉です。
つまりそれがゼノブレイド3の世界観。
酷い世界だろ!ここは!といったメツの叫びと繋がる世界。


けれど、今回の敵である「メビウス」たちは軽い。

世界、そのものが敵。
しかし、その割には相対するメビウスたちは享楽的に、軽い感覚で、ノアたちの世界の命を奪っていく。
その軽さが多くのプレイヤーが過去作と比較して物語に違和感を感じた点なのかなと思います。

個人的にメビウスをなんとなく理解し、共感した状態でプレイできたのは、事前に任天堂からの開発者インタビューで高橋さんのコメントに触れていたから、が大きいと思います。
(Twitterでのクリア勢の反応を見て、「これは…何も考えずにラストに突入したら置いていかれる可能性が高い…」と思って、その時点で高橋さんや開発陣のインタビューを読み直す旅に出た)

力を持つ敵であっても理念や正義、大義があり、
そこに一部共感できるように描くことを、
私は自分の物語づくりのなかでいつも大切にしています。
だから、これまでは敵を
良いか悪いかというようなハッキリした形でなく、
あえて曖昧に表現するようにしてきました。
そうすることで、敵への理解や没入感が生まれますし、
そこが物語の面白さだったりするとも思っています。
でも今回は違った切り口で描いてみたかった。
というのも、実は「力」にもいろいろな形があって、
理念や正義や大義ではなく、
面子(メンツ)とか欲とか、実はシンプルなもののほうが
多いんじゃないか、と思ったんです。

任天堂インタビューより抜粋 https://www.nintendo.co.jp/interview/az3ha/index.html

これを読んだ時に、あらためて高橋さん、挑戦したなぁと思いました。
改めて、現実世界に落とし込んだ時にはっとします。
人が何か挑戦をしようとしたときや、何かを始めようとした時に、
人はそこに思想や哲学なんてものがなくても、新しく踏み出すものの芽を摘み取ったり、簡単にできる。
例えばSNSにはもちろんいいものも溢れているけれど、そういった悪意の自覚もなく出る杭は打たれるのが当たり前のように挑戦する人たちを潰すような話も日常茶飯事です。

新しいことに、未来に踏み出すのに、世界そのものが敵になることがあるのが私たちの世界。
その敵は思想や哲学などを持っているわけでもなく、ある種、今に不満を持たない、疑問を持たない人たち。面白ければ面白い方がいい。別に今に大きな不満があるわけじゃない、今が楽しければそれでいい。
だからこそ簡単に人は、他人の感情を、いのちを弄ぶ。
ラスボス戦の劇場でノアたちを笑うメビウスたちは、現実の私たちへの暗喩ともとらえると、むしろメビウスたちに細かいバックボーンを書かなかったのは、イコール私たちの現実であり、社会である示唆なんじゃないかなと思います。
メビウスは俺たちの中にもある。ノアはそう言いました。そう、今の停滞を望むメビウスたちは、誰かの希望を簡単に摘み取ってしまう悪意は、プレイヤーのわたしたちにも潜んでいる。そんな現実世界を突きつけるようなラストバトルの演出だったんじゃないかな。
だから、そんな世界にも無謀に、それでも立ち向かっていく「若者」たちの、ノアたちの姿に自然と戦いながら涙が出てました。世界が変わらなくても、俺たちが変わればいい。もうこれはプレイする私が大人で、年をとったからだろうね…、ノアたちの恐れずに今を生きようとする輝きが、青臭さが、今一瞬で、尊いものであることが大人になった今だからわかる…。

そして、ゼノブレイド3の物語で私が「ああこの作品はいい作品だな…」と思ったのは、敵にまわった世界を、その停滞する世界にいる側の人たちを、ノアたちは決して、糾弾して、否定しなかったこと。
ミオは「それでもいいんだよ」って、停滞を、今の世界が続くことを望んだエヌに言ってくれた。
この物語の旅を彩る、数々のヒーロークエストで出会った彼らが教えてくれたこと。
世界はさまざまな立場の人たちでできていて、時には敵になったり壁になったりする。けれど、そんな世界や人を受け入れながら、自分達の方が変わればいい。それは、なんてやさしいんだろう。そんなノアやミオたちのように強く生きられない側のことを取りこぼさずに、ノランやシャナイアやエヌを通じて描いてくれたゼノブレイド3の物語は、すごく残酷で、それでも優しい物語だと思う。

そういう意味では、1や2より、3は社会的なメッセージもかなり強かったと思います。(かなり若者という言葉も強調してきたテキストだったし、高橋監督もインタビューで言っているしね)でもだからと言って、10代に向けた物語ではなく、むしろ私のような大人になってしまったユーザーが遊ぶとあらためて理解できる深さもある物語だった。(むしろ10年ぐらい前の私がこのゲームをあそんでここまでのことを考えたかと言うと多分、最後がよくわからない…って言ったと思う)
現実社会ともリンクしている敵でもあり、メビウスはなんだったのか?の問いかけの答えは、私たちプレイヤーの中にある。そこには製作陣や、高橋監督の今の社会に対する視座や問いかけも表現されていた。説教じみていたり、臭すぎるぐらいにね。
臭すぎるけど、真っ当で、こういった強くて爽快感のあるメッセージを描き切れるJRPGの大作は、本当に時代の中でごく稀にしか生まれないと思っているので、私は「今」プレイできてよかったです。逆にこの臭さを受け入れられない人は、この物語と合わないかもしれないし、今回の作品に感動できなかったかもしれない。
そう言う意味ではただのフィクションになっていない部分もあり、めちゃくちゃ繊細な物語なんですよ、ゼノブレイド3…、だからこそ賛否はあるし、抽象的すぎてわからないって言う人がいてもいいと思います。
でも、そういった意志を持って書かれた物語であり、その言葉は届いている人はいるということだけは声を大にして言いたいし、届いてほしい…そう思ってこの感想文を書きました。

私はよいフィクションや物語って、いつまでも終わらないでほしい…この世界に浸っていたい…という良さもありながら、物語が終わって現実に帰った時に、「ああ、現実の仕事、ちょっとがんばろうかな…」「あー、この良さを友達と話したいな」とか、いつまでもフィクションに閉じ込めないで現実に帰る余韻があると思う。良い物語にはそう言う力があるって信じてる。
ゼノブレイド3はをクリアした後、思わず外に出かけたくなる、スッとゲームをやめて、現実の世界に向き合いたくなる。私はそう言う感情になりました。ゼノブレイドのどの作品も、エンディングで抜けるような青空があって、それは私たちの現実で見上げる青空の爽快さに似ている。ちゃんと現実に帰ってこれるフィクション。これってシンプルにすごいことです。

1と2とは、アプローチが完全に違う3ということを理解したら、賛否が分かれるのも納得なゲームだと思います。「ゼノ」らしさを散りばめつつ、今までの「ゼノ」から脱却を図ろうとしている、めちゃくちゃ挑戦している作品だと思うのでむしろ新規のみなさまむけなのでは…?とすら思える。いやこの文章をゼノブレイドをやってきていない人が読んでいるとは思えないけれど…。私は自信を持って、「ゼノブレイドのこと、このキャラが気になるなら3からやってもいいよ!おすすめ!」ってこれから始める人には言えます。


エンディングとプロローグが繋がる演出

そんな青春を貫き、最初にいがみ合っていたノアたち、ミオたちと対比するように、気付けば走りながら世界そのものとともにお互いが別れていくエンディング…、私の127時間は決して、無駄ではなかった。だって、戦うことしか知らなかった、生きたいという感情だけを糧に生きていた、愛も恋も知らなかった少年少女たちが、いのち以外の手放したくない大切なものを得た。そんな涙が止まらなかったのエンディングを迎え、改めてプロローグの映像を見返してもしかして…?と思ったんだけど、プロローグの幼いノアはN(厳密にいうとアイオニオンでの最初のノア)でしたね…?

不自然に世界が停止した演出に、もう一つの世界が落下してくる空……、それは今を続けることしかできなかったアイオニオンの始まりの日であり、それをノアは見ていないはずなので、これは全ての始まりのノアなんだ……って気づいた時に、壮大なミスリードはプロローグから始まってたんだ、って気づきました。

エピローグとプロローグがこうしてメビウスのようにつながっている演出……、全てを知った今思うと美しすぎるミスリードです。高橋監督の憎すぎる演出に頭が上がらない。

本当に歴代のナンバリングの中で悲しいけれど、眩しくて、一番満足感があったエンディングでした。
ゼノブレイドのシリーズを遊べてよかったと本当に心の底から言える。


とは言えわからないところ

と、いいつつわからないことがたくさんあるのもゼノブレイド3。


なんで二つの世界が交わると消滅するのか

これは1と2がクラウスが実験の結果生まれた世界であり、ある種のパラレル世界同士だからこそ、同じ時間軸に存在すると矛盾が起こるから…という解釈であってるんでしょうかね? 
だからこそ、「今」という時間にとらわれ続け、永遠にループしたアイオニオンの世界でしか、1と2の世界が合体する世界なんてあり得ない。ラストが交わらない世界で別々に生きていくの、本当に1と2のゼノブレイドで作り上げてきた世界ならそうなるしかないので、個人的には大納得だったんですけど…、でもいつか出会う未来が来るといいな。どうすれば出会うことができるんだろう…悶々。ゼノブレイドくんのことだから、この二つの世界が本当の意味で出会うのは、遠い未来の子孫が実現しそうで、かなしいんですけど…今のミオやノアやユーニやタイオンやセナやランツが出会ってくれ…やっぱりゼノブレ3-2を作るしかない(FF10-2の発想)DLCが2のときのような過去編じゃなくて、後日談だといいな…、DLCで本作は完結する(らしい)と言った高橋さんの言葉を信じて待つしかない。


おくりびと人がおくるときに出る粒子って何?

これだけはうんうん唸って考えてもわからなかった…、FF10は同じ「死んだ人をおくる」という光景で幻光虫は生命エネルギーで魂、みたいな説明があったので、ゼノブレイドのこの粒子はなんなのだろう…というのは気になる。


XとYだけ特別なメビウスっぽかったのはなんで?

メビウスの存在には納得したとはいえ、やっぱりXとYが語られなさすぎていて不完全燃焼なのはある…もう少し彼らが特別だった理由を知りたいですね。


などなど、説明求む!の点もたくさんあるので、ここをうまく回収してくれるようなDLCなどが出てきたらいいな…。


惜しいところ(システムや諸々)


ムービーの順番が本当に惜しい

個人的に一番違和感感じたのは最終戦のバトル前のボレアヌスだけピックアップされたムービー流れてから、Zととの戦いに臨むところ…、あそこすごい違和感ありましたね…、もっと手前で入れればいいんじゃないの?って思ったし、それこそオリジン突入前のコロニー30と一緒に盛り上げてくれてもいいし…、ちょこちょここちらの感情が盛り上がってる場面で、唐突に他エピソードが挟まってくる(しかしそのムービーの内容はいい)みたいなのが気になったのはある。
でも、前述した通りムービーの順番って伏線になっていたり、ミスリードさせていることもあるので、これはあえての効果を狙っている場所がありそうな気配もするんですよね…悶々。


ラスダン前のムービーなどで、ヒーロクエストで出てくるコロニーにはもっと触れてほしかった

ゼノブレイド3の評価の半分がヒーロークエストで出てくるキャラたちそれぞれの魅力や死生感にあったし、ノアが言った「巡り合わせがよかった」にはヒーロークエストたちで知ったものたち全てが含まれていると思ったので、メインストーリーで強制的にやったヒーローのコロニー以外には触れないのは寂しかったな…。昨年FF14の暁月のフィナーレを浴びたばかりの身でもあったので、ラスダン突入前の演出がシティがメインで、コロニー30がちょっとでてきただけなのも寂しかった…。ヒーロークエスト全部やらない前提だからだと思うんですけど、やった人前提のムービーでよかったと思うけどな…。どれだけ長くても結局やる人の方が多いと思う魅力的なヒーロークエストばかりだったから、本当にモノリスは作ったものに自信持ってくれ!と言いたい。
個人的に、シティのモニカやゴンドウ好きだったけど、正直Zと戦う場面で後ろにいなくてもいいんじゃ…?って感じだったし(正直あそこ一番盛り上がるタイミングで二人のキャラがノイズだった、あそこにたどり着くまではウロボロスの六人でよかったと思う)あの二人だけピックアップされている感じも寂しく感じ…、ラストバトルでヒーローたちが出てくる演出でバカ泣きしたし、ここの演出がなかったらゼノブレイド3のことここまで評価できなかったかも。でもその分、ラストバトルに次々とヒーローが現れてくる王道演出はほんとによかった。(ゲームのラストバトルはド王道であればあるほど燃えるたち)


ありあまるエーテルシリンダーと金と、整理しづらいアクセサリー!!!!

エーテルシリンダーはまじで99上限じゃなくてもよかったと思う…、それかもっと使う本数が多くてもよかった、やり込まない前提の本数だと思うんですけど、マップを歩き回るのが魅力のゲームでエーテルの採掘場所を見つけても採取できないのはマップの魅力が半減しちゃいましたね…、投下物資だったり色んな工夫でマップを歩かせようとしてくれた分、モノリスはマップをユーザーが歩くことにもっと自信持っていいよ!って思うような余り方だった。ゼノブレの魅力は気が狂ったこだわりを感じるフィールドです。本当にここに関しては自信持ってくれ、モノリス…、ゼノブレイドというタイトルに手を出したなら絶対、プレイ時間気づいたら百時間は溶かすようにできてるから…。
それぐらい、「プレイ時間があまりに長すぎると遊んでくれないかもしれない…?」という開発側の心配を感じる設定が多かった。(お金もあまりすぎてすごくもったいなかった、使い道あるとよかったな…、もしくはモンスターがお金を落とすという概念がそもそもRPGで常々おかしいよなと思っているので、エーテルシリンダーで物物交換するような仕組みでも世界観に没入できてよかったかも。それなら積極的にエーテル採取したと思う)
アクセサリーはこれもまじでFF10の不便さを思い出した…アクセサリー3つの枠じゃなくて、指、腕、首とかの部位にわけてアクセサリー組み合わせるとか、もしくはカテゴリーをタブで表示切り替えるかは是非考えてもらいたい…。あと個人的には装備したものを保存したりとかできる仕組みは欲しかった。定期的に付け直したり、増え続けるアクセサリーを整理する時間で数時間ぐらいは溶けてるんじゃないかな。

バトル面は個人的には2より簡単になってやりやすくはなったけど、流石に後半の方はシンプルすぎて飽きを感じてしまったので、長時間プレイさせることがここまで前提にあるなら、2の属性玉の仕組みのようなものはあってもよかったかも。(でも2で初めて遊んだ時は、この属性玉の説明がよくわからなすぎて、理解できたのが私は中盤以降だったので、ほどよかったのかな…)
他は、おおむね1や2より改善されていたUIが多くて、すごく好印象です。個人的にナビゲーションをいれてくれたのはすごくよかった。(任天堂さんとだいぶ悩んで導入した経緯があったのをインタビューで知ったんですが、結果、ナビゲーションがあっても死体や宝箱や敵をみつけたらそのナビゲーションから外れて寄り道する魅力は十分にある世界なので、ナビゲーションがあっても散策したし、あったおかげで本筋にいつでも戻りやすくなりました)これは本当に次も実装してほしい~!あとマップが最初から見えないようにしてくれたのも自分で埋める魅力が戻ってきて最高!!でした。

さいごに

以上、たっぷり書いたんですが、本当にゼノブレイド3は魅力的なゲームでした。
惜しいところはもちろんあるけれど、それを補いうる熱量とキャラの魅力。遊んでいた1ヶ月あまり、プレイヤーの私もアイオニオンの一部であり、一人一人の人生とすれ違うことができた。
巡り合わせがよかったとノアは言ってくれたけれど、ゼノブレイドのシリーズと出会えたことは、私にとっても大切な巡り合わせになったプレイ時間です。
この先の進化を楽しみにしつつ、ゼノブレイド3-2……じゃないDLCを待とうと思います。

おしまい。

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。


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