「ふつうの味」の喫茶店
「うちのお客さんでね、コーヒーに入れるのは生クリームじゃなくて牛乳がいいっていう人が二人いるんですよ」
私がそうお願いしたら、店主はほろっとした笑顔でそう答えた。
実家の近所でモーニングでも食べようかなと、グーグルマップを開き、検索窓でモーニングと調べた。出てきたのは、家から歩いて10分程の街場の喫茶店。明日の朝はここで本でも読もうと思って寝た。
25 年近く住んだ土地なのに、いつもは行かない道を歩く。店は十字路の角にあった。入ると、いらっしゃいませと60代くらいの店主が私の顔を見て言う。
席に座り、モーニングとコーヒーを頼んだ。店主は2斤分のパンを取り出して、厚切りにしてとろとろとしたマーガリンをぬる。その手付きは、はやいけれど、決して雑ではない。
トースターで焼いた食パンと、ごまドレッシングがちょっとかけすぎなサラダ、固茹でのゆで卵がテーブルに置かれた。コーヒーは湯気が立っている。
それらは、ふつうの味がした。
その人の生活の延長にあるような、毎日食べても飽きないような、ふつうの味。こういう味を私はずっと求めていたような気がする。
コーヒーはスペシャリティコーヒーですとか、パンは有名なパン屋から取り寄せてて、発酵バターをぬってて、とか。そういうグルメもわくわくするんだけど、どこかで「これだけしかおいしさってないのかな?」と思っていた。
ふつうの味のモーニング。甘いコーヒーを飲んで、新聞を読むおじさん。窓の外の交差点を横切るヤクルトレディと、ワゴンに乗った幼児たち。ずっとここにいてもいい。
店主のおじさんは、誰が生クリームじゃなくて牛乳を使うのかを知っている。このお客さんは読売新聞を読むとわかっていて、入ってきたら席にそっと置く。別のお客さんが帰ったあと、テーブルに残された飲み水を、観葉植物にそのままあげる。朝の光に照らされて、植物たちは元気にそこにいる。
この空間は、ケアされている。人からどう見られるかを気にしないでいい。ただコーヒーを飲んで、ぼーっとしたり、本を読んだり、好きに過ごせばよい。
こういう場所がずっと残っていく未来であってほしい。老眼鏡をかけて、文庫本を読む日までここにあってほしい。また来よう。
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