自分を信じすぎない。視点を加える
現地スタッフの遅刻について、前々から気にはなっていたが前任者が適当だった、且つ、あいつは日本人のくせに自分が時間にルーズだったから、部下にも甘く接していた影響もあり、よろしくない状況が続いていた。
日本人は時間に厳しいという話は有名で、それは外国人の間でもその理解がされていて、特にこと遅刻に関しては他国で日系企業に勤めていたときもやたらと会社が現地スタッフに厳しかった。
私個人としては文化的というか交通の便とか、日本と同じようにいかない部分についての理解はある程度しているつもりだ。でも、マインドの部分でどう捉えているかという点は大事にしている。今も現地スタッフの一人が遅刻を軽く捉えている印象があり、さらに遅れるなら連絡しなさいということを何度言っても返事ばかりで実行しない、その態度にそろそろ限界がきた。
てなわけで、昨日結構きつめに注意した。そしたら出るわ出るわの言い訳。私は人種に関係なく、自分の非を認める前に言い訳してくる人について基本的に信頼しない。言い訳は仕方ない。ご説明はどうぞ。ただ、先に一言謝れと思う。言い訳から出てくるということは自分の非を認めてないということと思う。そうすると、おそらくそこから改善は見込めない。
私が日本にいるため画面越しではあるが、注意したスタッフは明らかに表情がどんどん不機嫌になり、最後はほぼ返事すらしない。そういう面があるとは理解していたが、思いのほかこの部分が弱いのだなと今回学んだ。今回注意されたことで、悔しい、見返してやる、そんな気持ちで変わってくれたらいいと思うが、あまり期待できないだろうなという印象である。
冷静に、できるだけ論理的に、問題点をクリアにして話したつもりだったが、人に注意するときに自分中心になっていないかあまり自信がないため、注意しているその場に一緒にいた別のスタッフと、現地の人材関連を仕事をしている人にその後相談した。現地での遅刻に関する考え方、捉え方、対応について、私はやりすぎてないかと。
昔だったら、自分は間違ってない、その気持ちと勢いだけで日本人も外国人も関係なく物申してきたけど、今は他者の視点を入れるようにしている。それは物申す前のときも後のときもあるけど、自分以外の誰かの意見を聞くようにしている。自己中心的な考え方になりすぎていないか、不安になったということではなくて、人に注意することについて自分を信じすぎないようになった。それは自分が注意された時に理不尽に感じた経験と、自分が注意した時に相手が感じたであろう理不尽さを、私なりに学んだからだと思う。
今ちらっと確認したら、注意したスタッフは30分早く出社しているようだ。やればできるじゃねえかよ、と思う私はダメ上司なのか。結果だけを見ないでプロセスも大事にする、とかいうけど、は?社会人なら結果出してなんぼだろ、と思う私はダメ上司なのか。物事の背景を無視するつもりはないし、事情については理解はする、でもやるかやらないかってのは別次元の話だから、やれよって思うわけよね。できるできないじゃなくて、やるかやらないか。ま、やれよって思うわけよね。
普段はジョークをかましてふざけた感じの日本人上司にいきなり怒られた現地スタッフも不憫だろうな。ごめんね、私みたいなへっぽこ野郎が上司で。