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人付き合い過多による疲弊

珍しく仕事以外で忙しいため、noteから遠ざかっていた。書くことがないのではなく、書く余裕がないと言った方がよいのか。仕事が忙しいとき休みの日はへばってる私だが、ここ数週間は休みの日もほぼフル稼働でさすがに疲れた。おそらく今日から生理でそれもあり完全省エネモードである。

新しい地にて、社交性の塊のような同僚に連れられて人に会いまくり、同じような話をずっとしてるし聞いてるからか、頭の大混乱が続き、昨日くらいからついにショートした。話を振られても反応できないという病気である。疲弊の極みで初めての人との食事なのに割り勘で金を払いそびれた。馬鹿野郎である。

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今回、あらためて思い知ったのが、私は人づきあいが苦手であり、人見知りがひどく、社交性がないということ。

他人と話すときって、多かれ少なかれ相手に合わせることをしなければならないが、私はそれが苦手なのだということに気づいた。一対一であれば大丈夫なのだけど、複数の人の中でそれをするのがかなり苦手なのだ。同僚が私に気を遣って色々と話を振ってくれるのだけど、そもそも私の話なんておもしろくないしという前提のもと生きているため、他人に向けて、しかも私をよく知らない人に向けて話を整理しながら言葉を選んで話すのがものすごいエネルギーがいるのだと知った。今更かよって感じだけど。

私は誰とでも仲良くなれるタイプではないため、初対面の人に対しては様子を見ながら、とりあえず相手を観察するところから始めたいのだ。自分のこととかあんまり話したくない。ボロが出るからよ。でも話を振られたら話さなければならない。だから自分の中のバランスを失っておかしなことになってるんだろう。

不思議なことに、私は周りの人間からは社交性はある方で人見知りをしてないように見えてるらしい。なぜ気づかないのかがまったく理解できないのだけど、私のそれっぽい振る舞いは良くも悪くも成功しているらしい。全然嬉しくないけど。これでも猫被ってんだよ。

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色んな人と会ってみたが、実際に仲良くしたいと思った人はほんの限られるほどの人。未知数の人が何名か、あとは特に仲良くならなくてもいいかなと思ってしまった。ある程度の社交性が求められる仕事をしているのに、これでいいのかと思ってしまうが、向いてないんだからしょうがない。仕事の部分は金もらってる分頑張るけど、実生活は私はやはり一人デフォルトが良い。人間て社交性のある動物だけど、一人の時間がないと死んじゃいそうである。

人づきあいが得意な人ってそれだけで得していると思う。羨ましいと思う部分もあるけど、上述の通り、私一人の時間がないと死んじゃうのだ。そういう人間なのだ。だから昔は持っていた社交性と人づきあいのスキルを必要な時に最大限発揮しながら、あとは一人でのんびりと生きていこうと思った。無理に変える必要はない。つーか、変えられんしね。

なんにしても疲れた。とにかく疲れた。日曜の午後にこんなに疲れてていいのかってくらい疲れてる。なのに月曜はやってくる。そんなもんである。