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気持ち悪さの向かう先

書くか悩んだけど書いておく。一連の流れで思い出しちゃったから。

毬栗を投げますのでご注意を。



前にも記事にした記憶があるが、私は痴漢に遭ったことがある。帰宅中にずっと追いかけられた。バイクに乗った二人組の男に。後からゆっくり近づかれ、体を触られ通り過ぎ、また背後から回っての繰り返し。街灯とかほとんどない暗い中で、もうすぐ家というところであまりの恐怖で生まれて初めてだと思うくらいの声で叫んだ。それでも助けに来てくれる人は周りにいないから、泣きながら震えながら開いてたお店に駆け込んで、助けを求めた。

それ以来、私は相手が誰であろうと、人が後ろに立っているという状況が苦手だ。だからエレベーターとか嫌いである。後ろに誰かがいる。そもそも人が近いだけでオエってなるので、待ってでも一人で乗りたい。ちなみに女性であっても嫌である。歩くなら前を歩いてほしい。背後に気配があるのが嫌なのだ。

もうかれこれ7〜8年近く経つと思うけど、全然治らないな。

高校生の時も電車の中でもしょっちゅう痴漢に遭った。生々しい表現します。質の悪いやつは指を無理やりつっ込んでくる。結構がっつりと。動けないし、混み過ぎて相手を特定できない。声を上げれないっていうけど、あの時は何と声を上げていいのか分からなかった。駅に着いて扉が開くまでずっと指が入ったまま。ドラマとかでケツをさすってる痴漢とかいるが、あれは序の口である。これ以上は書かないけど、実際はもっとえぐい。何度かあった。

「痴漢は犯罪です」とか女性専用車両のおかげで途中からだいぶマシになったが、この国終わってるなと高校の時に思っていたのはこれも一つの原因なのかもしれない。

社会人になってからも痴漢には遭う。通勤電車、路上など。制服という義務のスカートをはかなくなったのに。一番最初に書いたのもそうだけど、その数年前もプールで泳いでいたら(ゴリゴリの競泳用の水着で)、急にゴーグルを取られた、変な男に。すぐに取り返せたけど、その後ずっとついてくる。あまりに気味が悪いのであがろうと更衣室入口付近の周囲から丸見えの場所でシャワーを浴びていたら、その男が気づいたら真横にいて捕まえられそうになった。更衣室に逃げ込み、1時間以上震えが止まらなかった。家に帰るのも怖かった。

一般的な数字がわからないけど、数えたら被害に遭った回数は両手では収まらない。

最低な言い方をします。被害に遭うたびに、もっと典型的な女狙えよって思っていた。なんで女でいることが嫌な私をわざわざ狙うんだと。もっと分かりやすい女を襲えよ、と。なんで女らしくいない私が女としてターゲットになり襲われるんだよ、と。痴漢が、襲ってきたやつが悪いのなんて分かってる。でもこれだけ女がいて、なんで女らしくない私が狙われるのか、なんでそこらへんの普通の女じゃないのか。他の人が被害に遭えばいいなんて考えが間違ってるのなんて分かってる。でも間違ってようがなんだろうが何度も何度も思った。

それでも自分はマシである。ずいぶん前だけど友人がレイプされた。その後彼女は何度も何度も手首を切っていた。化粧をほとんどしない、服もいたってシンプルな、でも何もしなくてもきれいな友人。今の彼女は結婚して幸せそうだけど、当時は本当にいなくなっちゃうんじゃないかって怖かった。私には彼女の苦しみは分からない。同じ被害に遭ってないから。想像なんてしても追いつかないと思う。でも、女でいるのちょっといやになった、と言った彼女の表情は今も忘れられない。


女性が嫌いってのもあるけど、自分がその一人というのが気持ちが悪い。痴漢に遭ったのが原因の一つだろうが、女である自分が気持ち悪いと今でも思う。嫌悪に近いくらい嫌いってのはそういうこと。同じカテゴリに入れられるのがたまらなく嫌だ。

たぶん頭がおかしいというのはバレてると思うがあえて書くと、さすがに女性全員に敵意を持ってるわけでもないし、女友達だって普通にいるし(中身は普通じゃないのが多いが)、わ~この人好きって女性もいる。でも集合体として女性と提示された場合、自分がそこに自動的に属しているという事実にウッとなる。

性別の欄が男か女かしかなくて、最近やっと、答えたくない、でしたっけ?欄が一つ増えたけど、なぜ、物事は0か100かで考えるな、白か黒かだけで考えるな、とか偉そうに色んな人が言ってるのに、性別はまだ3つしか欄がないのか。日本語では性別しか言葉がないので特に。ジェンダーとセックスのように使い分けてほしい。生物学的性別・セックスであれば女、ジェンダーはなしにしてほしい。ジェンダーレスはどこへいったんだよ。


結局、一番気持ち悪いと思うのは、自分が女の端くれであることで、それが受け入れきれないことなんだと思う。そう思ってしまう理由も、過去も、今も、全部こう書いてみて分かった気がする。色々あったし、今も色々ある。もう起っちゃったし、起きてるんだから仕方ない。引き続き生きづらい(くどい)。それでも生きてくのであれば自分が楽なポジションと在り方でいるしかない。それはありのままとか自分らしさとかでもなくて、自分を微調整して自分にとっての楽と快適を取るしかないのだと。

来世はオスのダチョウとかに生まれたい。