親を嫌いでもいいと言える世の中になってほしい。ちょっと複雑な家庭かつ毒親のもとで育ったこと

我が家は母子家庭。

今の時代は多様化が進み、片親の家庭というのがあまり珍しくないかもしれないが、私が子どものころ、つまり30年くらい前ってまだいわゆる「ふつう」ではなかった。「ふつう」の家庭にはお父さんがいてお母さんがいて。でもうちには父親がいなかった。でも家の外で会う父親はいた。

子どものころの話題って、家族のことが多かった。でもうちは「ふつう」ではないとあるとき気づいてから、私は友達や周りの人間に必死に隠していた。今振り返れば、別にいないってことを言ってもよかったのかもしれないが、ただ子どもながらに自分の家は「ふつう」じゃない、をさらに逸脱したふつうじゃないのでは?と思っていたんだと思う。実際にシンプルに離婚しただけの親ではなかった。

ある意味で、嘘をつくことが日常化していた私の子ども時代はかなり歪んでいた。嘘は嘘を重ねるとか言うけど、本当にそうだと思う。そして常に嘘をつくことへの罪悪感を持っていたんだと今振り返れば思う。嘘をつくことにも、その罪悪感にも気づかないフリをする術を学んで対処していたんだと思う。

私は二十歳の時に母から一方的に父親のことを聞いたが、その後、私は一度たりとも母とその話をすることなく、向き合うことなく今まで生きてきていた。事実を知った後も、私は周囲に嘘をつき続けて、罪悪感に気づかないフリをして生きてきた。結局同じことをくり返していた。むしろ、自分が歪んだ性格なのは親のせいだって、私は被害者なんだって思って生きてきた。

これに気づいたのが、2月にアドラーの本を読んだときだった。以下は私の解釈です。

4~5歳くらいまでの体験により、その人の問題が起きた時の対処法は決まる、そして人生においてその対処法は一生くり返される

だいぶ衝撃。私まさにそんな感じだった。
子どものとき、まさに5歳くらいのときにはすでに親のことで周りの友達に嘘をついていた記憶がある。そしてその嘘はしょうがない、嘘をつかなければならないって嘘をつくことを正当化して、問題そのものに向き合わず、その問題から逃げ続けていた。

今まで、たいてい失敗したと思ったときは、問題に向き合わずに自分の中で勝手に正当化して逃げる道を選んでいた。30年以上生きてきて、ずっと同じことをくり返してきてたかもしれないって気づいた。特に人間関係でうまくいかなかったのには自分に原因があったことにちゃんと自覚を持てた。

ただ、気づけたからと言ってすぐに変われないのが人間でもある(苦笑)気づけたことで変われた部分ももちろんあるが、なかなか変わり切れないものでもある。

今回私がやったこと、それは母親と向き合うこと。今までよくわからないけどすごく自分の中で嫌っていて、それはもしかしたら憎しみや恨みに近かったのかもしれない。それらの負の感情を一旦自分の中で落とし込み、そしてずっと言いたかったけど言えずにきた不平不満、感じていたこと、私が母親からされて嫌だったことを伝えた。

伝えた結果、ほぼ伝わらなかった(苦笑)。そして、母が超毒親であったこと。とにかく言葉がきつい。

親子といえどこんなにも考え方やものの捉え方が違うのかと思い知らされて、すごく諦めがついた。真正面から立ち向かってみて、初めて分かったことは「あぁ、この人とは交わらない」「あぁ、私この人のこと嫌いだ」ということ。今までぼんやりとは感じていたことが、やっと腑に落ちた。

そしてそんなに嫌いな人の生き方をどこかしらなぞっている自分にも気づいた。今回、母親が身内や他人からされたことを憎しみをこめて話している姿を見て、「この人も被害者になることで自分を正当化しているんだ」って思った。母と話す中で感じたのは、こんなにも頑張って育ててきたのにどうしてそんな仕打ちを娘から受けなければならないのか、という一方的な被害者意識。私は母の味方でいなければならないって思われてると強く感じた。

言葉のきつい人のもとで何も言い返さずに育った私は、結果としてやはり言葉のきつい人間になったことにも気づいた。嫌な部分をちゃっかり受け継いじゃってる。今回、おそらく初めてに近いくらいな感じで私が思っていたことを伝えたら、母は最初はショックを受け、その後は私の言葉のきつさを全否定してきた。

よく心理カウンセラーや精神科医の方のツイッターなどで見る「相手に期待しない」ということの意味が分かった気がする。自分じゃない人の心は操れないし、そんなところに労力使ってたら疲れるのは当たり前だから。私は母に対して今回諦めた。諦めて楽になった。

それでも切れないのが血縁関係。だからそこは自分の中でどこかしら落としどころをつける、それしかない。年上の友人から言われたこと。

今回切実に思ったのが、親子関係で悩む子ども、というか親との関係に悩む子どもの立場のすべての人が、その悩みをもっとオープンに語っていい世の中になってほしいということ。親の悪口言ってもいいじゃない、って思う。