見出し画像

思い合いのバランス。ギブアンドテイクンとテイクアンドギブン

謎の腹痛からの腹下しで朝からげっそり。昼過ぎに回復したと思いきや、夕飯食べたらまたグルグル言ってる。どうした、我が腹よ。

Bさんからの久々の連絡が、「今日めっちゃ暑いよね」。いや、私30度くらいが適温だからと思い「私はもうちょっと暑くていいかな」と。その2時間後にB「夏って感じだよね」。・・・え、私これにどう返せば?分からないので2時間後に「そうだね」と返信。その後連絡なし。分からな過ぎる。

分からないときは忘れるに限る。私からは特に用はないのでそのままにした。用があるなら用件を言えばいい。ないなら「便りがないのは元気な証拠」方式で生きている私には特に連絡は不要である。こういうところが薄情と言われる所以なんだろうな。

***

ふと思ったこと。

主に男女になるのだろうか、人間関係一般にも言えるのだろうか、その辺は感覚ズレてるので分からないけど、人との関係性において、自分が相手をどのくらい思っているかと相手が自分をどのくらい思っているか、このバランスが大事だと思った。思ってた。でも、実際は自分が相手にどのくらい思われたいのかと相手が自分をどのくらい思ってるか、こっちのバランスの方が大事なのではと思った。ギブアンドテイクではなくて、テイクアンドギブン(given 与えるの受身形)。あとその逆のギブアンドテイクン(taken 受け取るの受身形)。英文法的にうんたらという苦情は受け付けません。

ギブアンドテイク。相手に与え、相手から受け取る。一般的にはイコールだとよいのだろうか。そんなうまい話ってあるのかいな。いや、ねーよ。お金とか目に見えるものだったり、量を測れるものだったらいいけど、人間関係で言うギブアンドテイクって要は愛情だったり気持ちであって、測れないものの代表格。

「自分が相手をこんなにも思ってるのに相手がそれに応えてくれない」がよく分からない。それって重要なのか。私は自分が思いたいだけ相手を思えばいいと思ってるし、相手が思いたいだけ自分を思えばいいと思っている。

ここで問題。相手が思いたいだけ自分を思えばいい、と思いつつも、私の場合少ない場合はそうでもないのだけど(ケッ、てやんでえとは思うが)、相手が自分をものすごく思ってて私はそれを望んでないときに本当に苦しい。愛される・好かれるのは無条件で幸せなことと思えない、そんなしょっぱい私だからかもだけど、でも自分が望む以上に相手から思われるのは居心地がよくない

ただし、相手によるのだ。この人からは最大350までOKだとしても、別の人だと100までで勘弁してくれ、みたいな。恋人となる相手であってもそれぞれ違うし、友達でも同僚でも、みんな違う。そして関係性が変われば居心地がいいと思う分量も変わる。

私にとって、きっと自分が思う気持ちと相手が思われたい気持ちが同じくらいであり、かつ相手が思う気持ちと私が思われたい気持ちが同じくらいだと、いちばんしっくりくる。楽な状態だと思う。

あ、超絶難しい事象であることは重々理解している。

***

以前Bさんと口論になった際に言われた「自分の環境が変わったからって俺への気持ちが変わるってのはズルいよ」ということについてずっと考えていた。そして、いくら考えてもそれは仕方ないことだとやっぱり思った。人って生きてりゃ絶対変わる。私のようにヤドカリコとして色んなところへ移動しトライし、そんな生活をしていたら変わるのだ。それが私だ。

それ以外にもBさんとは難しいと思う部分があって、でもきっと決定打は私の変化に対して文句を言ってきたところだと思った。私は、私が変わることを認めてくれる人がいいと分かった。その柔軟性は持ってる人がいいと分かった。その点は感謝しておこう。

***

途中から論点がズレてしまい、いつも以上になんともまとまりのない文章になってしまった。

とりあえず、ギブアンドテイクの量は同じじゃなくていい。相手はどのくらい私に期待しているのか、私があげられるのはどのくらいか。私はどのくらい相手に期待しているのか、相手はどのくらいくれるのか。そのバランス取れそうか見て関係性を作っていくイメージもありだなと思った。

ちなみにこの話は、マッチングアプリで自己紹介文にもうちょっとシンプルにこんな話を書いている人がいて、ほぇ~おもしろいと思って感化されました。気づきをもらえるってありがたい話である。

***

腹痛がひどいため今日はお酒はやめて炭酸水。最近の強炭酸水ってすごいのね。びっくらこいたわ。