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スナップにモノ思う日

近頃、散歩のついでにスナップをすることが増えた。まぁこのパンデミックの中、外で意識的な運動をすることが増えた人は多いのではないかと思う。

私ももれなくそのひとり…というほど習慣にもなっていないけど、意識するようにはなった。

その中で、よく昔の自分を思い出すことがある。対話するといってもいい。ぼんやりと、というよりはさらに踏み込んで思い出している。

何せ、歩く場所はかつて通学路だったなじみの道にたどり着くことが多い。だいぶ、様変わりしてしまった部分もあるが、ふと通りかかるとあの頃の自分を思い出す。

通っていた保育園の隣にある公園。かつてよく遊んでいた砂場はもうなくなっていた。公園の真ん中にあった大樹は小学生のころだったか、台風にあおられて折れてしまった。そのときのことも、シーンとして覚えている。

同じく公園の背の低い木。低いところで枝分かれしていて、幼い子どもの時分には上りやすかった。

同級生の運動神経の良い子は、奥の何のとっかかりのない木をするすると登っていて、保育園の先生を困らせていた。

今でこそ、同じような仕事をしているからわかるが、本当に困っていた思う(笑)

保育園へ向かうこの道は、あまり景色は変わらなかった。大人になった今見ても、この松は、高い。

昔、小学生のころに通っていた道。暗くなると、この看板がどうにも人が立っているように見えて恐ろしかった。

そう考えたら最後。その思い込みは止められない。子どもの私に残された手段は

ダッシュで通り抜けることだけだ。

相変わらずでかい木パート2.商店街へ向かう途中にある、さらにでかい木。指定保護樹木らしい。

持ち出したレンズがPanasonic (パナソニック) LEICA DG SUMMILUX 25mm F1.4と標準域だったため、いまいち大きさが伝えきれない。

ちなみに、木の下にあるお屋敷もでかいので、地主か何かなのかもしれない。お屋敷は新しくなっていた。

このお屋敷の前で、母に文句を言っている自分を思い出す。

靴の紐がほどけたのか、一生懸命結んでいる私をよそに母はすたすたと先に行ってしまう。

「待ってよ!」

そういうと母は「待ってる待ってる」と言いつつ歩みを止めない。

「待ってって言ってるのに何で先に行くの?!」

泣きながら怒りをあらわにする私。ただ、止まってほしいだけなのに。それすら聞いてもらえない悲しさで胸がいっぱいだった。

大人からすれば「すぐ追いつくから大丈夫でしょ」ぐらいのことが、子どもにとっては一大事だ。散歩をしていると、そんな自分によく出くわす。

日々、子どもと接していると慣れてしまって、そんな子どものときには当たり前だった、大切にしていたはずの感情をどこかにおいてきてしまう。

この間も、そのことを忘れて失敗してしまった。

愛おしくて笑ったことも、子どものころの私には馬鹿にされたようにしか思えなくて泣いたことがある。いや、大人になった今でもその感情を抱くことは少なくない。ただ、理解ができるようになっただけだ。

どうやらまだまだ、昔の自分との対話は必要そうだ。

ではまた

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