父と私①


とまてぃすです。
今回から回数を分けて、私の色んな事の根っこに突き刺さっている父との関係を記していきたいと思います。
これは私自身今までの経験や現在の生活を整理整頓して記録したいと言う気持ちから記します。人によっては苦しい表現があるかもしれませんのでお気をつけください。



私は生まれも育ちも地方の特徴のない家に産まれたと思っていました。
父はプログラマー、母は看護師、私はばぶ。
幼稚園に行く前までの写真は沢山残っています。父に遊んでもらっていたり母に抱っこされていたり。
2人ともすごくいい笑顔でいい写真でした。

ところが、幼稚園に上がってから成人まで、父と2人で写った写真はありません。
加えて父は私が幼稚園時代から、長らく写真に映ることはありませんでした。
小学校に進む頃には私の写真も家族写真も撮ることはありませんでした。
(七五三も成人式の前撮りも私一人だけの写真です。)


父は無類の車好きで世界最高峰のモータースポーツ、F1が格別に好きでした。
今でもなんのきっかけでなのか分からないのですが、小学1年生から父と2人きりでF1の日本グランプリ(三重県鈴鹿市)に行くことになります。しかも車中泊。
今では家族3人で行く毎年の恒例行事になっていますが、小学6年生までは2人きりでした。

正直我が家は典型的な父は無関心、母は過保護な家庭です。
なので当時も普段は無関心で機嫌によってはちょっかいを出してくる父と2人でレース観戦に行くことは子供ながらに不思議さと、気まずさと、言うことを聞くしかない気持ちとでいっちょ前に混乱していました。
今思うと小学生時代の父はレースに一緒に行く不思議なおじさん。という認識も強かったと思います。


現在の父と比べると、当時は大変気難しい性格でした。
いつもむっつりしてテレビの前から動かない。不機嫌になると私と母の事はフル無視して部屋に引きこもり酷い時は食事もとりませんでした。
お盆とお正月は自分の実家には行けども母の実家には行く事はありませんでした。

そんな生活の中、事件が起こりました。

ある日リビングで父とテレビを見ていた時、CMで面白いフレーズがありました。父に構って欲しかった私は
「お父さん!○○だって〜!」
と面白おかしく言いました。笑ってくれると思いました。

ーーーーーーーバチンッ!!!!!!
「うるせえよ!!」

何が起きたか直ぐには理解できませんでした。
父が実は不機嫌だった事に私は気付けませんでした。
ぶたれた事に気付いた私は酷く泣き、母に慰められていました。とても、とても怖かったです。
私はこう思いました。
お父さんは不機嫌だと私をぶつんだと。
上手くやらないとまたぶたれるかもしれないと。


この出来事は現在の私の心にも深い傷として残っています。



つづく

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