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2時間半で行けるヨーロッパに行けない2年間に捧ぐ - SF作家の地球旅行記 ウラジオストク編(1)

旅行記を更新したいが旅行に行けないので、2018年に行ったロシア・ウラジオストク旅行を、記憶を頼りにしたためようと思う。「あの頃はよかった」という話は正直好きではないが、今ばかりは「早くこうした時間が戻ってくるといい」という願いをこめて。

なにぶん3年前なのでちょいちょい記憶抜けがあり、それを想像で補完しているため、現実のウラジオストク事情を反映していない可能性がある。そのあたりはあらかじめご了承願いたい。

【今回の登場人物】

柞刈湯葉:この文章の筆者。大学卒業後に就活が面倒で大学院に行き、その流れで研究者になったものの、論文があまりに進まないので現実逃避にSFを書いたら小説家になった。最近は小説が進まないので次の逃げ場を考えている。飲むとすぐ寝るので宅飲みを愛好する。

大崎くん:高校時代の友人。入学まもない遠足のバスで1時間ずっとCPUの二次キャッシュの話をしていて「やべーやつがいるな」と認識したのをよく覚えている。大卒後は「英語が無理」と言って院試を受けずに就職したが、現在はアメリカに駐在し英文のプレスリリースとか書いてる。食事と飲酒を同時にできないので、飲み会に誘うと事前に飯を食ってくる。

ウラジミール・レーニン:20世紀を代表する革命家にしてソビエト連邦の創始者。旧共産圏の各地に存在するレーニン像を全部倒すとモスクワで防腐保存されている遺体が起き上がって戦闘に突入するそうだが、まだ倒してないので詳細は分からない。

成田からのフライトは2時間半。飛行機が滑走路に降りてドアを出た瞬間、機内の空気ではない土地の空気に飛び込む。「よし、これは成功だ」と思う。

自分の経験では、海外旅行の成否は大体のところ気候で決まる。いや、もちろん気候が良くても楽しくない旅は山程あるが、それはそれで「楽しくなかった旅」として人生経験の1ページに刻まれる。気候が合わないと、そもそも皮膚より外側に注意が回らくなってしまう。

2018年は記録的猛暑で、名古屋は幾度となく40℃超えを観測していたが、9月下旬のウラジオストクは最高気温20℃。長袖がないと肌寒い空気に、広大な土地に見合う広い青空。実によいスタートだ。

なにはともあれ SIM カードを買う。旧ソ連圏特有のやる気のなさそうな店員が英語で対応してくれる。データ 5GB で400ルーブル(850円)。安い。

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何故ウラジオストクに行くのか。この経緯もかなり曖昧だが、確かその年の春ごろ、横浜市に住む友人・大崎くんの家で宅飲みをしながら「サハリン島に行きたい」という話をしていた。僕はそのころ名古屋に住んでいて、横浜までは新幹線で1駅なのでしょっちゅう会って飲んでいた。

大崎くんは暑いのが苦手で、夏どころか春が来るたびに「どっか寒いとこ行きてえ〜」と口癖のように言っていた。ちょうど僕は「船で国境を越えたい」と思っていた。そうなると、北海道のさらに北にある、サハリン島への渡航がごく自然に持ち上がった。

この手の旅行計画はだいたい酒の肴として消化されるだけで実行されないのが常なのだが、僕も大崎くんも宅飲みの間ずっと MacBook を開いて相手の言うことをファクトをチェックする人間なので、「サハリン島への船便があるらしいね」という話をすると1分後には具体的なダイヤと運賃、稚内に至るまでの行程ができてしまう。

ただ、稚内からサハリン島へ渡る船便は本数がきわめて少なく、お盆の一時期しか運行されていないらしい。成田からウラジオストク経由の空路で行くほうが、金銭的にも時間的にもいい。それだと「船で国境を越える」というコンセプトが成立しないので、だいぶやる気が薄れてくる。

「もう面倒だし、ウラジオストク行くか」

「ああー、いいねえウラジオ。何だ、ほら、近いし、ロシアだし……」

とか要領を得ないことを言いながらワインを消費していった。大崎くんの家には常に「蛇口から出るのか?」という量の酒と、何に使うのかわからない機械が雑然と並べられている。そんな部屋で酒ばかり飲んでいると、自分も入力されたタスクを自動で処理する機械の一部の気分になってくる。

浦塩地図 2

ウラジオストクは日本海に面したロシアの都市で、2時間半で行けるヨーロッパと言われている。緯度的には札幌よりも少し北、旭川あたりに相当し、8月でも25度くらいまでしか上がらない。時差も1時間だけ。暑さから逃れる場所としては申し分なさそうだった。

そしてこの旅行の少し前にロシアがビザの緩和を行い、ウラジオストクなど一部都市への渡航申請が簡略化されていた。これは何かに呼ばれているな、と感じた我々は、さくさくっと手続きを進めた。仕事でもプライベートでも頻繁に海外に行くので、この手続は慣れたものだった。

ところがビザの申請段階で手が止まった。有効期限が十分なパスポートの番号が必要なのだが、ふたりともパスポートの更新期限が間近に迫っていたのだ。9年前に一緒に海外旅行に行き、そのとき作った10年間のパスポートが同時に期限を迎えたのだ。リーマンショックに伴う円高とか、そういう理由だった気がする。

その頃の僕たちはまだ十分に暇で、旅行も5人組で行ったのだが、9年も経つとそれぞれ就職したり結婚したり子供ができたりと忙しそうになっていった。それでも頻繁に顔を合わせてはいるのだが、やることといえば備蓄のアルコールを処理しながら思い出話をするばかりになった。

高校時代からの長い付き合いで、「何をするか」ではなく「何をしたか」の話ばかりが積もっていく僕たちにとって、「なんとなくの思いつきで海外旅行をする」というのは、大人になっていくことへの精一杯の抵抗だった気がする。次の更新年が来てもこういう「なんとなく」を続けられるんだろうか……と、そういうことを思いながらパスポートの更新手続きを進めた。

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ウラジオストク空港から市街地までは40キロほどで、新千歳空港→札幌駅間と同じくらいある。駐車場をうろうろしていると白タクのおじさんに捕まり、8人乗りのトヨタ・ワゴンに乗せられた。「平成18年」と書かれた車検のマークが貼られていた。

料金は忘れたけど、普通のタクシーよりは安かった気がする。僕たち以外にもうひとりアジア人の男性が乗っていたが、ひとことも喋らなかったので何人なのかはわからない。

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市街地に入ってくると、まず目につくのはキリル文字の看板群である。都市化の進んだ現代ではどこの国の風景もかなり似通ってしまっているが、文字や言語の差は手っ取り早く異国感を演出してくれる。それも観光客向けに作られた異国感ではなく、生活に根ざしたものだから良い。

ふたりとも語学は苦手だが、理系出身者はギリシア文字が大体読めるので、キリル文字の発音も類推で結構わかる。Г はガンマ関数に似てるので /g/、Ф は量子論のファイっぽいので /f/ といった具合だ。あとは И が /i/ で Н が /n/ といったものを直前に暗記すれば、8割くらいは読めるようになる。

発音だけ覚えても意味ないのでは? と思われるかもしれないが案外そうでもない。「ВОСТОЧНЫЙ ЭКОНОМИЧЕСКИЙ ФОРУМ」という看板を見れば、うろ覚えの発音でも「ボストなんとか、エコノミなんとか、フォーラム」と読めるので、近日中に大規模な経済会議が開かれるんだな、ということがわかる。それだけで「人間生活や経済活動が営まれるリアルな都市」としての立体感がだいぶ増してくる。

ちなみにキリル文字はモンゴルや東欧諸国でも使われているため、一度覚えればかなり広い範囲をカバーできて、学習コスパの良い文字体系といえる。出発前に白水社の「しくみ」シリーズを読んでいくといい。

市街地についてホテルに荷物を置くと、学食みたいな店で春巻き風の何かを食べ、上の階にあるバーでビールを頼んだ。2杯とツマミとあわせて290ルーブル(500円)。SIM のときも思ったけど全体的に物価が安い。

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店を出て夜の町を適当にぶらつくと、港のすぐそばに有名人らしき銅像が立っている。クラーク像みたいに片手をあげている。

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えーと Λ はラムダっぽいから、これは「レニン」だな。え、レーニン? これが映像メディアでやたら倒されるレーニン像か!

国家に大規模な変革が起きると、前時代の象徴は徹底的に破壊されるものだと思っていたので、まさにソ連的なものであるレーニン像がこうも堂々と立っているのは結構ショッキングだった。

港から少し内陸に入るとやたらギラついた色の凱旋門がある。ロシア最後の皇帝(プーチンは含めない)であるニコライ2世がウラジオストク訪問した1891年に建設され、ロシア革命期に(僕の考える変革のイメージに従って)破壊されたが、2003年に再建された。

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僕の中にある「ロシア的な風景」がおおむねソ連以後なので、『不思議な国のアリス』のようなカラフルな色合いはなんともインパクトがある。歴史建築というよりも、ディズニーランドのような外資のテーマパークの入り口に見えてしまう。


今回の旅行は3泊4日だが、特になんの予定も立てず(僕も大崎くんも予定を立てないタイプだ)適当に市内をうろついて気になった施設に入ることにした。とりあえず目につくС-56潜水艦に向かう。Сはキリル文字のエスなので、英語表記だとS-56になる。

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独ソ戦で使われた潜水艦で、現在は博物館として展示されている。入場料は100ルーブル(175円)。内部で写真を撮る場合はもう50ルーブル必要と看板に書かれていた。常に巨大なカメラを抱えている大崎くんはちゃんと50ルーブル払って内部の写真をバシャバシャ撮っていた。

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ハンドルがものすごくいっぱいある。潜水艦映画で「艦内浸水!」とか叫んであわてて回すやつだ。現代だとこういうのって電子制御になってたりするんだろうか。

軍用の潜水艦は生活の快適さというものは考慮されず最低限のスペースしかなく、そこに観光客が押し寄せてくるので、閉所恐怖症の身にはかなり厳しい乗り物である。もし戦争に行くとしても潜水艦だけは無理だ。いや戦争に行くこと自体無理なんだけど、思想的な無理よりも生理的な無理のほうが上位である。

先日(2021年9月)世界初の民間人のみによる地球周回飛行 Inspiration4 が行われ、宇宙旅行時代が徐々に現実となりつつあるが、正直あの CrewDragon で3日も過ごしたら、地球の壮大さを味わうよりも船内の狭さに参ってしまいそうなので、将来「SF作家枠」みたいなので宇宙旅行のチケットが手に入るとしても、もっと大型の宇宙船ができてからにしたい。

軍事歴史博物館にも行った。鹵獲品とおぼしきハーケンクロイツや日本刀が展示されていた。

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Маока と書いているのでたぶん真岡町(現・サハリン州ホルムスク)のものだろう。

こうしてウラジオストク市内を散歩していると、過去との向き合い方が事前のイメージと結構違う、というのがわかってきた。

2020年行われたアンケートによると、レーニン像の撤去には世代を問わずほとんどのロシア国民が反対しているらしい。ウラジオストク市内でもあちこちに ☭ マークを見かけたし、どうやらロシア人にとってのソ連時代というのは、僕が思っていたほどには「否定すべき過去」ではないらしい。

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もちろんこのあたりは他の旧ソ連とはだいぶ事情が違うだろう。日本は2015年に「グルジア」の呼称を同国の要請により「ジョージア」に改めたが、現在でもアブハジア・南オセチア問題でロシアと対立しているジョージアは、わざわざ日本に「ロシア語名で呼ばないで」というほどロシア的なものを排除したいのがわかる。

なおジョージアはスターリンの出身地であり、ワイン発祥の地とも言われている。こちらもいずれ行きたいし、そうできる日々が早く戻ってきてほしい。

(つづく)

※本文中の為替レートは2018年9月の1ルーブル = 1.7円で計算。

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