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辛そうで辛くない少しも辛くないボルシチ - SF作家の地球旅行記 ウラジオストク編(2)

前回のあらすじ:レーニン像は今も立っている。)

極東ロシアの港湾都市・ウラジオストクの歴史は19世紀後半に遡る。思ったより遡らないな。

アヘン戦争で敗れた清王朝が外満洲をロシア帝国に割譲され、そこに建設されたのがウラジオストクである。なんで英国と清の戦争でロシアに領土が? と思うかもしれないが、帝国主義の歴史にツッコミを入れてたらキリがないので飛ばす。

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なるほど立地的に完全な東アジアでありながら、街並みにアジア的な匂いはほとんどない(景観のアジアらしさとは、道路にせり出した看板の面積である)。

とはいえ近代以降にできたこともあって、「これぞロシア」という感じのタマネギ型ドームの歴史建築は見当たらない。キリル文字がなければアメリカと間違えそうな匿名的な欧米中規模都市、という雰囲気である。

これといったシンボル的な建築物があるわけでもなく、一応事前に「ウラジオストク 観光」で調べたら車で7時間かかるハンカ湖が出たりして書き手の困り具合が察せられた。特定の観光スポットやアクティビティよりも、異文化圏の空気そのものを味わいたい人向けの町だろう。

ソ連時代からありそうなアパートの壁を見ながら「室外機がほとんどないな」「やっぱり冷房は普及してないのかな」「あの部屋とあの部屋は金持ちなんだな」とかいう話をする。テナントのあまり入ってない百貨店をぶらぶらしたり、スタバのパチモンみたいな店で100ルーブル(170円)のコーヒーを飲んだりする。資本主義に喧嘩を売るような安さ。

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ウラジオストクという都市がつまるところ何なのかといえば、シベリア鉄道の終着地である。駅は市の中心部にあり、空の無蓋コンテナが100両以上連なって走っていくのが見えた。

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この路線が1週間かけてモスクワに着く、と考えると妙な気分になる。まず同じ乗り物に1週間乗るというのがイメージしづらい。アポロ計画だって往復で1週間である。国内移動が月より遠いとはどういう了見だ。

現代では暇な大学生の特権のような行程だが、航空便のない戦前に日本から欧州に向かうなら、福井県の敦賀から船便でウラジオストクに行き、そこから鉄道でモスクワに向かうのが最短経路だった(船便だと1ヶ月以上かかる)。参考→ ERINA REPORT Vol. 49 「シベリア鉄道と日本」

そういうわけでウラジオストクは日本にとって重要性が高く、シベリア鉄道建設前後には出稼ぎ労働者など1000人程度の日本人が居住し、「浦塩日報」なる日本語新聞まで発行されていたらしい。安彦良和『乾と巽 ザバイカル戦記』にもそうした模様が描かれている。

と、色々書いたがこのあたりは帰国してから調べたものである。旅行中の時間を最大限有意義にするために調べてから行く人も多いだろうけれど、知らない土地の知識というのはいまいち体に染み込まないので、まず数日滞在して「知ってる土地」にして、そのあとに知識を入れていく、という手順のほうが自分には性に合う。

物価がかなり安いので、日本だと怖気づいて入れない高そうな店にも入れる。STUDIO という結構有名な店で、予約はいらなかったがディナータイムの少し前にもかかわらず屋内は満席。テラス席に座った。

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ボルシチは赤カブを使ったスープで、ロシアやウクライナなど東欧圏で広く食べられる。赤色から受ける印象と違ってまったく辛くない。器は黒パンだが、食べるタイミングに困る。

この日は雨で肌寒く、9月なのにストーブが炊かれていたが、屋外なのであまり効かない。ウォトカを頼んで内部から熱する。40度あるはずなのにやたらと飲みやすい。ショットグラス1杯だけにしておく。

適当にアルコールが入ったところで中国人らしきおばちゃんに話しかけられる。「その帽子どこで買ったの?」と聞いているようなのでメモ帳に漢字で「日本 購入」と書いた。伝わったのかはわからない。

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走っている車は日本車が多く、右側通行にもかかわらず日本と同じ右ハンドル車ばかりだった。中古車が日本海越しに輸入されているのだろうが、アイドリングストップという概念のない旧型が多いので、信号待ちをしていると会話もしづらいほどエンジン音が鳴り響く。

現在カーボンニュートラルの観点から世界的にガソリン車廃絶の動きが進んでいるが、喫茶店で170円のコーヒーを売っている人たちがホイホイとEVに乗り換えられるとも思えない。e-fuel のように既存の車を使える技術が必要そうに思える。

シンボル的な建物がない、と先に述べたが、インスタ映えなどの観点からわかりやすいスポットを挙げるとすると鷲ノ巣展望台というのがある。金角湾とそこに架かる橋がよく見える。

展望台まではケーブルカーが運行されているが、なぜかこの日は乗れなかった(点検中の運休とかだと思う)。ローカルな乗り物が好きなので残念だが、家並みを眺めながら急斜面を登っていくのも乙なものである。

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主塔から斜めケーブルを渡す斜張橋は、20世紀後半から建造されるようになった新しい種類である。この橋が多いと発展しつつある都市という気がする。日本だと横浜ベイブリッジが有名か。

観光客向けの注意書きがハングルだけで書かれている。日本からの観光ビザが緩和されて日が浅いので、地理的に近い韓国人客が中心なのだろうか。さすがに北朝鮮からの観光客はあまりいないと思う。

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ところで少し有名な話だが、ウラジオストク市内には北朝鮮の国営レストランというのがある。旅行のオチ要素になりそうなので最後の晩に行ってみた。「カフェ・ピョンヤン」という店だ。

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国営といっても決して大きくはなく、四人がけのテーブルが10台ほどあるだけである。赤一色のドレスで昭和日本みたいなパーマをかけた女性が給仕していて、小皿の料理がいくつも運ばれてきた。学生街にある中華料理屋みたいな味だった。

せっかく北朝鮮だから大同江ビール(北朝鮮で生産されている)を頼もうと思ったのだが品切れらしく、地理的に近いということでハルビンビールを飲んだ。

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値段はウラジオストク的には少し高かった気がする。こうした料理が北朝鮮のミサイル開発に使われるのだろうか、と考えるとなんともいえない気分だ。

どうも北朝鮮レストランはオチとして弱いので、最後に土産物屋で見かけたプーチンの掛け時計と胸像を貼っておこう。

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有料部分では旅行中の小ネタをいくつか載せておきます。



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