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書籍の帯にでかい数を載せる

いつの頃からか、書店を見回すと新刊の帯にやたら「Twitter フォロワー数10万人!」とか「YouTube チャンネル登録者100万人突破!」といった数字を見るようになった。

こういう宣伝文句を「出版業はネットのインフルエンサーに頼りすぎ」とか「編集者の怠慢」と糾弾する声もあるが、僕も数字が大好きで、「数で相手をビビらせたい」という感覚はとても理解できる。「感動の超大作!」とかいう読まなくても書けそうなフレーズよりも一応の客観性や情報量はある。

『ドラゴンボール』の印象的なシーンに「わたしの戦闘力は530000です」が必ず挙げられるのも、でかい数を言うだけで白熱の戦闘場面に比肩するほどのインパクトを残せることを示している。言葉に言霊があるように、でかい数には数霊(かずだま)があるのだ。

まず既存の帯でよく見る、でかい数の例を挙げていこう。

「シリーズ累計200万部突破!(電子版含む)」

正統派である。僕くらいになると脊髄反射で印税額を計算してしまう。ただしライトノベルの場合は大抵そのコミカライズも含めるので、これだけで原作者の印税額を算出するのは難しい。あと電子版は半額や0円セールが多いが、そのへんをどう扱ってるのかはよくわからない。

「小説家になろう累計PV1億突破!」

これもちょいちょい見る。Web小説のPV数は話数の区切り方でだいぶ変わるのであまり客観的でないが、「億」という単位は出版業でなかなかないので景気の良さはひときわだ。

「生涯呼吸回数2.5億回突破!」

こちらは電子書籍なので正確には帯でないが、『川尻こだまのただれた生活』第三集の表紙である。確かにこの人は呼吸の回数が問題になる生活をしてそうだが、脈拍なら呼吸の4倍くらいあるので10億いけると思う。

「世界人口78億人を突破!」

これは品田遊『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』である。反出生主義がテーマなので世界人口を書くことは決して不当ではないのだが、たぶん著者も「何でもいいから表紙にでかい数書いてビビらせよう」とか思ってると思う。『匿名ラジオ』を毎週聞いているのでわかる。


さて、こうした先行文献をもとに、帯に巨大な数を書く方法を探そう。

単にでかい数字を書きたいなら「グーゴルプレックス!」だの「不可説不可説転!」だの「グラハム数!」だの書けば済むが、内容や著者と関係ない数を書くのは優良誤認の不当表示であり、消費者庁から警告が来かねない。当該の書籍と関連し、かつ景気のいい数字を書く方法を考えよう。

たとえば「累計部数」を「累計ページ数」にするだけで2桁増やせる。そもそも部数はシリーズの区切り方などで変動する(やたら薄い上下分冊など)ので、ページ数を合算したほうが分量の尺度として正当だし、印刷所で消費された紙の量も測れるので SDGs の観点からも望ましい。『ONE PIECE』は世界累計4.9億部なので、1冊200ページとすれば累計1000億ページである。ロジャーの懸賞金額も霞む数だ。

ただ、書籍1ページあたりの情報量はそれほど一定していないし、単行本と文庫版でも少々異なる。可読性に鑑みて行間をしっかり開け、高齢者にも配慮した巨大なフォントで書かれているものもある。これらを一概に「1ページ」とまとめるのは問題かもしれない。

そこで、発行された書籍が読者に与えた総情報量、いわば「累計情報量」を数えてみよう。仮に日本語20万字の小説として、UTF-8 であれば1文字3バイト。1冊分の総容量は60万バイトすなわち480万ビットとなる。100万部売れた本であればそのまま100万倍して4兆8000億ビットとなる。

「累計情報量4兆8000億ビットの超巨編小説!(電子版を含む)」

すごそう。帯に「兆」が付くのは財政赤字の本以外でそうそうない。買った読者全員が1冊分の情報を得たわけではないが、「100万人が涙した感動巨編!」とかいうのは別に100万人に聞いて回ったわけでもないから問題あるまい。

文字ものは情報量が少ないので、全ページが画像の漫画本にしてみよう。一般的なモノクロ漫画は600dpiで入稿されるらしいので、B6版の白黒2値であれば1ページの情報量は1300万ビットほど。200ページの単行本なら26億ビット。『鬼滅の刃』最終23巻は初版395万部なので、およそ1京ビットの情報が印刷所で一挙にして刷られたということになる。

とはいえ、読者もさすがに印刷されている全てのビットを情報として認識しているわけではないし、これ以上突き詰めてもせいぜい垓(10²⁰)のオーダーどまりだろう。


情報量が行き詰まったので、次は物質量である。「書籍に含まれる原子の数」を考えてみよう。書籍の原料は紙であり、その主成分セルロースは化学式で (C₆H₁₀O₅)ₙ と表せる多糖類である。したがって162グラムの文庫本であれば、炭素が6mol、水素が10mol、酸素が5mol で合計21mol含まれているため、総原子数は10𥝱(10じょ、10²⁵)個となる。

「総原子数10𥝱個突破! あなたはこの物語を読みきれるか?」

これは1冊あたりなので、100万部売れれば累計発行原子数1000穣(10³¹)個になる。

さらに原子はもっと細かい素粒子に分けることができる。たとえば炭素原子で最も存在量の多い¹²Cは、36個のクォークと6個の電子からできている。したがって書籍に含まれる素粒子の累計数は1桁増えて1溝(10³²)になるが、ここまで来ると1桁などもはや誤差だろう。

なお宇宙の素粒子は10⁸⁰個ほどと見積もられているので、実際の物質量では80桁を超えることはできない。ここからどうするか。


少し話は変わるが、僕は去年はじめて短編小説集を発行した際「どういう順番で読めばいいか」ということを複数の読者から聞かれた。

僕としては飽きないように方向性の重ならない短編をバランスよく並べたつもりだが、もちろん読者にそれを強制するつもりはなく、タイトルから気になったものを先に読んでも構わない、と答えた。実際、僕も他人の短編集を読む時にそうしている。

世の中には「自分の体験と同じものをみんなに共有して欲しい」という思いから他人の楽しみ方に口出しをする人もいるが、あらゆるコンテンツに消費者の数だけ楽しみ方があるほうが、文化として豊かといえるだろう。

僕の短編集は6編収録しているので、読む順番は6の階乗、すなわち 6! = 720通りある。読者ごとに720通りの楽しみ方があるわけだ。(一部を読まないパターンも含めればもっと増えるが、それは考えない)(読んでよ)

これが星新一のショートショート集や『ニンジャスレイヤー』のような時系列ランダム小説、果ては Twitter の1ページ漫画をまとめた単行本であれば、読む順番は爆発的に増加する。

こうした階乗はスターリングの近似を使って桁数を見積もることができる。

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仮に短編が100編収録されていれば、読む順番は10¹⁵⁸通り。仏教経典で 10¹⁴⁵ のことをドバジャグラニサマニと呼ぶらしいので、帯に使わせてもらおう。なんでこんな言葉があるんだ。

「楽しみ方は10兆ドバジャグラニサマニ通り! 100編収録のショートショート・コミック集!」

もはや数字というよりもインドの商店街の名前に見えてきた。


短編集といえばボルヘスだが(PR案件のような話題急転換)、彼の代表作のひとつに「バベルの図書館」がある。架空の巨大図書館を舞台とした短編で、アルファベットと記号の列で表現可能な文章の全てがそこに収録されているという。本はすべて410ページで文字数の指定があるので、その総数はおよそ10^183万4097冊である。

そこで、帯を書きたい本が仮に410ページだとして、バベル図書館の何番目に収録されているかを帯に書いてみよう。ボルヘスの作中に収録順についての説明はないが、確率的におそらく真ん中あたりだ。「およそ10^183万」は半分にしても「およそ10^183万」だから、410ページのアルファベットで書かれた本であればほぼ10^183万番目に収録されているといえる。

さすがにこんな数字を表す言葉はないだろ、と思って調べると、仏典『華厳経』に毘薩羅(びさら) = 10^183万5008という数詞があり、これは偶然にもバベルの蔵書数とほぼ一致する(1000桁ほど違うが、183万桁の1000桁など誤差である)。というわけでこれを使う。

「バベルの図書館1毘薩羅番目に収録、起こり得た世界の物語。」

ここまで来ると数字が「数や量を表すもの」という性質を失って、宗教的な文言に見えてきた。阿毘羅吽欠蘇婆訶、遠大図書館毘薩羅番目。


というわけで今回わかったのは「仏教徒は巨大数にやたら名前をつけたがる」ということである。小学生男子とかが休み時間によく「俺は9999兆9999億9999万9999パワーだから〜!」と己の知る最大の数を言い合うバトルをしていたが、そういうノリが仏僧の間にも存在していたのだろう。「億劫」の語源とかだいぶ頭がおかしい。

なお僕の Twitter フォロワー数は現在3.3万人だが、こうして並べて見ると帯に載せる数字としてはあまりに矮小なのでできればやめてほしい。内容の印象的な文とかを引用するのがいいと思う。


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