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22歳派遣OLでもFIREしたい#02 SNSをやろう



こんにちは粽です。


私は粽という名前でSNSを初めてから今日で3ヶ月ちょっと経ちます。

普段の生活や不動産のこと、お金のことなど、割とごちゃごちゃしながら呟いています。

個人的にSNSのアカウントは学生の頃から持っていて使っていましたが、
「素性を隠して自分の意見を発信する」アカウントを作ったのは初めてです。
まだまだフォロワーもいないので、空に向かって呟く毎日ですが、それでも細々と継続すれば気づくこともありました。

なので今回はSNSをやる本当のメリットを私なりに解釈してまとめました。

同じ志を持った人たちに出会える


これは結構言われていますよね。


私のリアルアカウントでは、同じ田舎出身の地元の友だちがわんさか。

「金が欲しい!」「不動産買いたい!」など思ったことをそのまま呟きつづけるものなら、時として潮が引いたように自分の周りから人が消えます。

もちろん消えるような友だちなら要らないという意見もめちゃくちゃ分かりますが、それ以前に顔や素性を晒したままだと、お金や不動産のことをつぶやくにはリスクは割とあるのです。

それに自分の知っている人がいると、100%現れる「やめとけ星人」ですね。

これ結構しんどいです。
田舎はコミニュティが狭いので、良くも悪くも近くにいる人を他人と思えないのです。

何も不動産もお金のことも知らないのに(知らないからこそなんでしょうけど)、やりたいことをことごとく否定します。

もう「貴方のためを思って」なんて言葉は法で禁じないと、日本で止まることなんてないでしょう。

それに比べてSNSは、純粋にそういったしがらみなどを抜いて、自分の取り組みたいことに向き合える仲間が見つかります。

と、こんな風に行っておいて私はまだお友達と呼べるレベルの方は居ないんですが。

でも興味を持ってくれる人もまだあまり居ないですが、「そんなのやめなよ」という人もあまり居ないのです。


それがどれだけありがたい環境か。

リアルじゃないからこそ、密になれることの方が案外多いのかもしれないです。


「俺はいいけどYASAWAがなんて言うかな」作戦


私の中でこの1年間は、そんな自分を見つめ直すとっても大切な期間で、

なりたい自分になるためには、をすごく考えさせられました。


その上で私の周りの友人や家族がもっと、世の中の選択肢に気づいて

自分自身ややりたいことをごまかして生きていかずに済むようにしたいと、強く思うようになりました。

でも私自身にはまだその力や時間はありません。

だから「粽」を作りました。


粽という人物は、私でもありますが、私ではないです。


粽は悲しいことがあっても、毎日コツコツ頑張れる。
言いたいこと何でも呟いちゃうし、前向きに物を見て、失敗も経験に変えて乗り越える。

理想の私を、代わりにSNSで演じて、私を引っ張っていってくれます。

できないなら代わりにやってもらえばいいのです。


そうして周りの人を巻き込むパワーもSNSで得ているわけです。(笑)


でも嘘をついたり、内容を盛りまくるという事ではありませんよ。


たまに迷いやモヤモヤを呟く時もありますが、

ほとんどは「私がめちゃめちゃできる人間だったらどう言うだろう」

想像してつぶやいています。


そう、「俺はいいけどYASAWAがなんて言うかな」作戦です。


自分を鼓舞し続けるんです。


どんなに格好悪いことでも、マメに呟けば自分に嘘をつきづらくなります。

だから資格とるとか、ダイエットとか宣言にも向いてますね。



良くも悪くも「結果」しか見てもらえない


私に今フォロワーがいない理由の大半はこれですね。

私は今「こうありたい!」と呟くばかりで、
まだ信頼と実績がゼロです。

得たい結果は得られないかもしれないけど、それでも真意にコツコツ積み上げた先に得た「経験」と「信頼」は、このご時世ではかなり重要な財産になります。


私は今まで奇跡のぐうたら人間として22年生きながらえてきたので、

それらの大切さがないからこそ、身に染みて分かります。


現実を歪めずに、自分の思いにひたすら向き合い、実行する。


いい経験も、悪い経験も、時間をかけてでも自分の中で消化することを、

忘れたくないなと思います。


SNSを自分の味方につける


『人間には20~50万年の歴史があるが、その歴史の中で、99%の期間はそれほど多くの人と会うことはなく、特定のコミニュティの中で生きていた。

でもこの100年で、何万人という人たちとすれ違ったり、たくさんのコミニュティと関われるようになった。

そしてその現代の状況と同じ環境をを作ってラットで実験させたら、胃潰瘍を起こして、場合によっては死に至るほどのストレスだった。』


2、3年ほど前にコラムの一文としてこのような文章が雑誌に掲載されていました。

この一文がシンプルに怖すぎて忘れられず、今に至るわけで。

やっぱり人間、というか生物には、ある程度適正な距離があるんだと思い知らされました。


SNSは、

やっぱり近すぎるとは私も思いますし、

しんどいことも、まあたまにはあります。


それでも私たちは選択の余地があります。そこから離れることも、利用して味方につけることもできる。SNSの母体自体は、私たちが何をしようが沈黙を守る。


だからもっと誰かのためではなく、自分のために、第二の自分を作って味方につけれたら

もっとよく生きれるんじゃないかなあと思ったりしています。


呑気なものですよ、粽の中の人は!




またぼちぼち


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