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私の人生はなんでいつもこうなんだろう?木山愛深さんとの出会い 3

労災余談と知らないうちにもらっていたエネルギーをお返したいと思う心

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


今日は昨日のお話から続く余談です。

死亡労働災害のこと
(弁護士さんにしゃべったらあかんって言われてるから
「ここだけの話」にしといてください♪←得意技)

会社へのペナルティも本当にすごくって

労働環境などもきっと調べられただろうし書類なども本当に大量に書いたり提出しなくてはいけないほど厳しくて
主人の管理責任を問われた上司は毎日の仕事をしながらそれをしないといけないの。


ヒトゴトのようにしか言えないのが本当に申し訳ないのだけど
とても大変だったはず。
労災で争うことになっているのがお決まりのパターンのように
新聞をにぎわせているところをみると
私は本当に恵まれていました。

主人の直属の上司の方は女性でね。

私は本当にこの方のお世話になったのですが
いろんなことは本当にあとでわかってくるのだけど

主人が亡くなって
わたしたちがかけつけるまでに
主人の彼女からかかってきた電話を
とって対応したのもこの女性上司の方。

お葬式にきた彼女と私が絶対に鉢合わせしないようにブロックしてくれたのも。

(最初から会社の上司としてだけではなく、私を同じ女性としての立場でも
守ってくれていたんです)

その方には
本当にお世話になりました。

実は彼女は主人の上司になって
たった数ヶ月でこの件の責任を負うことになったそうです。

ずっとずっとあとで聞いたのですけどね・・・・。

わたしが主人への思いが
違う観点でいることも
彼女は一人全て知っていたのにもかかわらず
しかも他の社員には一言も他言せず

一社会人として任務を全うとしてくれたのだと
ずっと後で知りました。

わたくし今更ながらサラッと書いていますが
会社自体が最初から労災を認めようとしてくれたことも
すごいことだったんですよね。

それくらい主人も
会社に貢献度あったのだということを含めても会社の思いが
そこまで大きくあったことは、ありがたいことでした。

でもね。
彼女自身はずっと悩んで、悔いていたんです。

「喉がなんだか通りにくい」という主人を
無理やり家に帰して受診をすすめて帰らせたのもこの方だったです。
(亡くなる一週間前に急に夕方帰ってきて
病院にいったことがあったのです、主人にしては珍しいと思っていました、医者キライなので・・・・)

「たまたま」自分が上司として赴任して数ヶ月しかたってないのに
部下が職場で亡くなるという場面に遭遇し、

それ以降

会社の風当たりをまともに受けながら
(直属の上司に「お前のせいで俺の昇進がなくなった」と
数年間に渡りパワハラをうけていたそうです)

本当にたくさんあった書類をまとめあげ、
一日も早く
わたしが経済的に不安のないように
力を注ぎたいと尽力つくしてくれていたのでした。

そう

わたしが「ただただ」ひとりでグルグルと
恨みや憎しみてんこ盛りにしてた間に

私以外の人がわたしのために
力を使ってくれていました。

彼女は

「一社会人として、上司として
するべきことをしようと
思っただけです」と言ってくださいましたけど

それがどんなに

すごいことか
ありがたいことか。

なにか返したいって思うけど
何も返せないけど

なにができるんだろう

ただ

お礼をしたらいいとか
そういうことではなくって・・・・。

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もぞもぞと

いろんなことを
考え続けました。

お月さまと一緒に(笑)

愛深さんのお話は

こんな出来事の中での私に根付くことが
たくさんありました。

いただいたエネルギー

他のところで返せばいいんだ・・・・っていうこと。


確かに当時もまた未熟でした。(汗)
「わたしなんかになにができるん?」っていう思いも
まだまだいっぱいありました。

でも、エネルギーの循環ってちゃんとあって
彼女もきっと
今しあわせになっていくんだと思いました。

そのために私が今生きて、できることって・・・・

そうだ

きっと
まずあたしがしあわせになることだ

だってだって・・・

みんな

しあわせになるために生まれてきたって
愛深さん言うてたもん!!

その「しあわせ」の意味を
まだまだそれから
いっぱいいっぱい
試行錯誤することになるのですが

とにかく

「世界一幸せな未亡人」の原版。

これからどうやって生きる?ってことに
顔をあげて来たゆうあが
ここらでようやくようやく登場しはじめます☆

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