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退職して一週間後、主人が突然死にました。 1

東北震災・津波の日の次の日に我が家に起こった激震の話。

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


2011年3月6日。
正式に保育士の仕事を退職してから、退職のための書類が続々と届き始めていました。

切り替えが必要なものがあったり、結婚してはじめて主人の扶養になるための手続きをしなくてはならなかったり。
さすがに寝転がってはいられないなあと、重い身体を持ち上げてみました。

正式退職の報告をしたときの
主人の放った「辞めるって正気か?」「もう破綻や」

その言葉を聞いても、もはやどうしようもない私は
「忘れた、聞こえなかったふり」をしていました。

本当にそれ以外なにしていいのかも
わからなかったですし。

お給料がでなくなり、
お仕事もなくし

でも

個人年金を解約したお金でしばらくはいくか・・・と。
それと

思いがけずできた時間にはじめてみていたこと。

当時のわたしの
「ド貧民な中でのアタックチャ~ンス(違)」


それは

失敗年賀状を使ってはじめた「懸賞生活」
でした。

長年の仕事づけ生活を言い訳に書き損じた年賀状を何年もほったらかしにしていた私は
おもむろ~にそれをつかってあらゆるものの懸賞を送りはじめたのですが

意外なことに
三ヶ月ほどのあいだに

「中華料理セット」

「ティッシュペーパー5箱」

「お菓子つめあわせ」

などなどが当選してました。

結構たくましいやん

これは偶然ではなく
小さい懸賞であればあるほどゆうあ的「当たる法則」に忠実に
書きました。

・丁寧に書く
・カラーで書く
・答えや、住所氏名など、記載するもの以外になにか一筆(感想や思いを)添える。

これだけで当選確率はグーンと上がります。
これは確信いたしております。

そして(あまり大声ではいってはいけない)
化粧品の試供品とりよせ三昧(ごめんなさい・・・汗)


↑これ悪質ですよねーーーーー
たしかにとりよせた当時の
「タダだしもらっちゃえー」な感覚は否めません・・・・
_| ̄|○ il||liアノコロハゴメンナサイ


でも、たぶん、たぶんですよ。
私がちょっと気をつけてしていたのは


会社へのメールでのお礼。
使い心地、感想などのレビュー。←購入していなくてもできます。

これを結構しっかり出していたことです。

ただでもらったんだからそれくらいはしようという、どこかマジメな性格。
(だからって当時は買えなかったんですけどね)

クッ○パッドのモニターも本当にマメに申し込んでいました。
これは商品を使ったレシピを掲載するために、食材を先に送って来てくれるんですよね。

なんといったらいいかわからないけど、わたし

どこか「生きるため」に貪欲である。

しかも「楽しくやってる」

でも言っておきますが

鬱です。


とにもかくにも
お金がなくなっていく恐怖をうちはらうためかのように
せっせせっせとハガキを書く当時のわたくしでありました…。

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・・・ってこれ
懸賞生活のお話じゃありませんでした^^;

▽▲▽▲▽▲▽▲

話は戻ります。

あの2011年3月11日が訪れました。 

東北の震災です。

日本中が恐怖と深い悲しみで包まれているときに
テレビに映し出される映像を
転がりながらみるという不謹慎な中

「大変だ。私にもなんかできることあるのかな・・・・」

と。

鬱なりにぼんやりと
考えていました。

とりあえず

仕事は辞めたし
これからどうする?

懸賞だけでは無理だわな・・・。
(それが本当にできたらある意味すごい)

…なんて考える余裕が「当時はまだ」あったのです。

(当時の状態を考えるとどうしてそんなこと思ってるんだって感じです。

鬱だし。(笑))

しかし、

本当に今度こそそれどころではなくなります。

転がってることもズリズリワニもできなくなります。
(そういうことじゃないか)

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震災の翌日の夜でした。

私のどこか今の状態に実感のない
「根拠なしの若干の余裕」はさすがに完全にふっとびます。

とんでもないことで

「たくさんの人の前でおはなしをするような人になりたいの」
という(中学時代からの)お願い事が

思わぬ形で叶うというできごとが刻々と近づいてきていました。

▽▲▽▲▽▲▽▲

3月12日も終わろうとする夜中

もう寝静まっている我が家。
長男が自室の二階から降りてきました。

「なあなあ、なんか会社の人から電話かかってきた。」
「○○病院いってほしいねんて」
「おとん、倒れたらしいで」


・・・・・はぁ?

私は寝ぼけていたし
寝起きも悪いまま、たぶんどうでもいいような返事をしたと思います。

へー?

・・・・

えとね

正直この長男。

なにええかげんなこと夜中にいうてるねん・・・・。
と思いました。

そして、次には

どっかで転んだんやろか?

病院で一晩寝て自分で明日帰ってきたらええのに・・・・・

ああああああああっ
めんどくせーーーーーーーーーーーーーーーーっ

なんて(半ばイライラしながら)思いました。


やっとこ眠れたとこなんだから寝かせろよと。
(一日ゴロゴロしているので眠りの質がよくないだけです)

来いっていうなら
しゃ~ないか・・・・・。

のっそりと起き上がったわたしは

そのころ起きてるときも寝てるときもずうっと着てる
同じジャージのままで車を出すことに・・・・。

それでも

いつになくあっという間に出かける用意をしていた長男と
寝ていた次男を起こし
N市にあるという病院まで真夜中車を出すことにしたのでした。

車の中でも
「どしたんやろ?」みたいな雰囲気の私たち三人。

長男も状況は知らされていないのか
なんか、へんだぞ?いつもと違うぞ?なのか・・・

わたしはなにも感じない。
そう、ほんとになにも「感じません」でした。

感じたら真夜中に運転なんてできなかったんじゃないかな。

真夜中の闇が「なんともいえないへんてこな不安感」を拭い去れないままに。

みんな黙り込んだまま、真夜中車をN市の病院に向けて走らせたのでした。

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