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ゆうあ的昭和のおっちゃんへ☆彡まあなんですか?「謝ったら死ぬ」んですかぁ?とあたしは言いたいです

※2019年8月15日の記事の再掲載です。

前に
昭和のおっちゃんは
威厳あるように見せかけて実はめっちゃ怖がりだ。

っていう話しました。

いやもう
「冗談ジジイ」やら「ガンコジジイ」やら
「話わかるぞジジイ」やら
「無言で威厳を醸し出すジジイ」やら
「俺に話しかけるなオーラジジイ」やら
「話しかけてほしくて仕方ない寂しさ満載ジジイ」やら
「ワシの時代は・・・・ばっかりジジイ」やら



いやいやしまった
またもや「ジジイひとまとめ」にしてしまってるけど
(結構ひどいな)

世の中の60代はなかなか若い。
「ジジイ」では決してないんだけど

なのでこれらは「ゆうあ的総称」として勘弁ねがいたいっす。
(それならその言葉どうにかならんか)

要はこの「いろんな」フリしたジジイフリをしながら
「怖さ」を隠してるんやなって思うことが

大好き派遣のお仕事で発見したので
是非シェアしてみたいと思うのね~。
(今旬な「大好き派遣で発見シリーズ」更新中
ブログはこちら→)

ってなことで。

お戻りになられたら
さて、いきますよ~。

派遣のバイトって
高校生から60代くらいの人たちがいて

本当に幅広い年齢層なんだけど
(ここまで書いてヤバイ、あたしも随分シニアやないかいっ)

今、私が行ってる派遣先の仕事は
ガラス製品を検品して梱包し、まとめて出荷の準備をするっていう
流れ作業。

来る日も来る日も
一日中同じ製品を検査し梱包しておりますが

その検品する前の箱詰めを
作業しているすべての机にセットして回るというのを
よく「おっちゃんたち」がやってくれている訳。

若いお兄ちゃんがやってくれることもあったんだけど
だいたいが「おっちゃんたち」なのである。

そして、結構このガラス製品の箱
重いんだよね~。

私は検品・梱包した製品を箱に詰めたものを一瞬持ち上げて
ラインに流すときもあるんだけど
先日「絶対に」その箱を持たないおばあさんと組む日が一日あって
その日に腱鞘炎になりかけたので
その箱を一日中持ち運んで歩くのは大変だと思う。

で、それまくったけど
要はなにかというと(笑)

その中の運んで来てくれるおっちゃんが

無言で作業してる私の横に立ったわけ。
(しゃべったこともほぼ面識もない)

顔をあげると
またもや無言で「ガラス製品のはいった小箱」を差し出す。
「?」

まったくわけわからんねんけど。
「なんですか?」

「・・・・・」

聞いてる暇ないので
とりあえず受け取って横に置いて~。

時間開いた瞬間に
開いてみてビックリ

ジャリジャリに割れてるやないか~~~~~いっ!

っていうかさ

運ばれて来る中で
箱ごとつぶれてたり
破損した製品が固まってたり
まあ、それがあるから
検品という作業があるわけやと思うねんけどさ

どういう流れで
わたしのところにこれが届くわけ?

しかも「無言」で。
せめてなんか言うてくれよ・・・・キモイってなるわ。

友だちでもなんでもないから
問い詰める気もないけどさ

社員さんところに行って
「これ割れてたんです~」っていう「だけ」の作業だよ?

まあ、あたしだって「え?」って聞き返されたときに
「あ、割れてたらしいです」(だってあたしがしたんちゃう)って
なすりつけたくなってしまいましたが?www
社員さんの「え?」は聞こえてなかっただけっぽかったけどな。

この真相は聞いてないから
もしかしたら「違ってる」かもしれんけど
あくまで「憶測」で言うね。

自分の失敗でも
「割れちゃった」でいいと思うし
言わないで黙って埋蔵するほうが
ほんまに迷惑かかるはずやって
きっとおっちゃんは
「わかってる」とは思うねんなー。

あたしは

わからない
できない
もう一度設説明してほしい
これはどうやったらいいですか

聞いたり伝えたりすることを
この派遣でほんまに練習してるなあと
思ってた中なのでちょうど自分的には「よかった」の。

いや自分が割ったんじゃなくても
やっちゃったとしても
どっちでも一言いえばいいだけなんだと
思うけど

ちょっとわかるんだ。
「何言われるかわからなくてこわい」
「いちいち言うのめんどくさい」
(ならあたしに頼むくらいしろよないい年してww)
の裏にあるのは

いい年して

「怒られるのいや」で

「こわい」んやんかーーーーーーーーーー。

昭和のおっちゃんの時代は
まだまだ「親」が絶対だった。
親に言うとめっちゃ怒られたり
怒鳴られたり、叩かれたりもあったかもしれなくて

そこから
「言いたくない」だったり
「いちいち俺がいうことか」になったり
「なんで俺が謝らなあかんねん」だったり

まあ、様々やねんけど

要は「怖い」て死んでも言えない
怖さや
ねんな。

大事な人にもそれ一生やり続けるのが
「昭和の人間」の生き方のひとつかもしれんけど。

伝えたいのは

「ごめん」は
なーーーーーーーーーーーーーーんも怖くない。

それを、今日は伝えたい。

謝ってほしいとか
謝らないことは×だとかいうことを
言いたいのではなくて

言わなきゃいけない
伝えるべきことを
「俺がなんで言わなあかんねん」
って「こわさ」を隠して
生きていませんか?

大切な人は
大切な言葉で表現するからこそ
愛をはぐくめる関係になるのだよ、おじさん。

何度もいうけど
「言えばええんやろ」
「謝ってほしいんかい」って話ちゃうから。

こうした人生のヒトコマの中からでも
「伝えるべきことを伝えない」生き方を
手放したとしたら

ぜんぜん今までと違う人生が
待ってるかもよ。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

そんなあたしも
言ったことでも
言わなかったことでも
よ~く両親に怒られ、叩かれたと「記憶してた」わたしは
報告すべきことを「怖い」ために
他人に転嫁したり、
仕事が忙しかったせいにしたり
消えちゃったりした挙句の果て

愛も信用を失ったことが人生でほんまに多かったのでした。
だから、「こわいんやな」って
ほんま

わかる。

「ほんまはぜんぜんこわくないかもよ」
を練習してみてほしい。

そうやねん。
長らくいたことなかったところから出ると
そこは最初いずらいけど
身をおいてみたら

そこに奇跡が起こることを
体感してみてほしい。

自分が今実は
「謝るくらいなら死ぬ」(笑)とこにいることを
まず認めてくださいな。

いやいやほんまに死ぬと思ってるって
ほんで

ほんまに死にます?それ。

しあわせになりたい昭和のおっちゃんへ。

「自分の世界やスタイル」を貫くのもいい。
そして
死ぬほど大切な人のために

死ぬ気で言うてみれば?


練習は必要で
怒られることもあるかもやけど

それでも死なんから
次もそうかどうか
また確かめてみて?

こわいのは、知ってるよファイト。

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