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退職して一週間後、主人が突然死にました。 2

猫踏んじゃったみたいに旦那死んじゃったのよねーの話

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


何度も消そうと思いつつ消さない不謹慎なタイトルがここから続くんですよ~。

再投稿するたびに少しだけ迷うのだけど
やはりこのままにすることにしました(笑)

年月がたつほどに私は確かに
主人は私の人生において大切な人だったんだという思いを大きくしているんですが

亡くなった頃、一年たった頃
ブログを書いた当時

それからも、ほんとうにいろんな自分がいて

常に前向きってわけかというとそうでもなくて(笑)

「たった今」はどうかというと
こういう心境でおります。

「だって、人間だもの」
「いろいろ、あらーな」

初めてこの自分史を書いたころは
この(ひどい)タイトルを付けたかったんだなあ。あたし。

そんな「あのころの自分」もタイセツにしたいです。

このような今の私を主人が
あの世で笑ってみているであろうということを

ひし~っと感じて書いております。

初めて読まれる方は実際不謹慎に感じられるかもだし
実際、表現は死者にムチ打ってるし(笑)

理解はしがたいかもしれませんが

ご理解くださいねとはいいません。

これが「たった今」を生きる「わたし」なんです。

▽▲▽▲▽▲▽▲

到着したN市の病院は
真っ暗でした。

そして、ここから
記憶がところどころありません。

通された室内に

旦那はシュポシュポしたものを通されて
仰向けのまま
胸を動かせていました。

お医者さん(らしき人)が
「心肺停止しています」とみたいなことを言ってました。

いやいやいや…!
と私は思いました。

胸動いてるやんか。

ってか、
動いてるのになんで心肺停止なの?

意味わっかんないんだけど。

三人でおそるおそる主人のそばにいくと

「装置をとりますがよろしいですか?」と聞かれました。

動いてるのになんで取るん?

まさか

まじで死んでるん?

………

あ。

マジで死んでるわ。

呆然・・・・冷静。

意外なことに

悲しみもなーんも
ありませんでした。

そこから
・・・・あまり覚えてないのですが

いろんなことをちゃんと説明されて、

よくわからないけど納得した(ふりをした)のでしょう。

装置をとりはずしたのち

「3月13日午前2時○分 ご臨終です」
とお医者さんが言いました。

(あ、そうなのかー
家族がくるまではその措置をしてはいけないから
機械で肺に空気を入れてただけなのかー)

↑動揺してるけど、よくわかんないまま必死でそこだけ理解しようとしました。

ド素人すぎるけど、当時グーグル先生なかったんだもん。

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※なにがどーなってるのかさっぱりわかんないので首を「縦か横か」にブンブンフルフルコクコク振るしかない様子のあたし。

ここ、今思いだすとかなり笑えるところなんですけど。
わからんなら聞いたらええやんね?
そんな余裕がないというよりも
「知らない」「わからない」と言える世界を当時は知らなかったです。

▽▲▽▲▽▲▽▲

主人は某ファーストフード店の店長でした。

店が閉店したあと
レジをしめるために事務所にはいるところで倒れ
救急車で運ばれたそうです。

私たちの到着を待っていてくれた本社勤務の主人の上司から

運ばれている間一度は蘇生したけど

そのあと再び心臓が動くことはなかったと聞きました。

そして!

家族である私たちは
もちろん
すぐに連絡をもらえていたのですが

なぜ、倒れてから日を跨ぐほど
到着が遅れたかと言うと…

ここでも
「信じられない家族の絆っぷり」だよ。

まずひとつめ。

当時、長男が家の電話を使いまくるので電話機ごと取り上げられて主人の部屋にあった。

さらに、その部屋は(長男がお金を漁るので)錠前がかけられていた。

よって家電話は電話線つながってないのでかからず。

そして
ゆえに主人の携帯から探すことになった私の電話番号は

アドレス帳に

私は呼び名のまま書かれてあったからわからなかった。

わたしは主人にずっと「せんせい」と呼ばれていたのでした。

↑この夫婦の関係性、一体なんなんだ。。。。汗

家族の連絡先がわからない中、

当時「グレていて」上司との会話の中に何度か登場していた長男の名前をようやく探しだして連絡がついたという訳。

こんなことが重なって、

このタイヘンな事態に
家族と連絡がとれないまま
日付をまたいでしまっていたのでした。

何時ごろ倒れたのか、どんなふうだったのか。
実はどっかに書いてあるかもと思うのだけど
今もあんまり知りません・・・。

さらに
その後警察の方がこられて

「死因原因特定のため(事件性はないと思うけど)解剖されますか?」
と聞かれました。

即座に意外に気丈に考えたフリして
「はい、お願いします」と答えたわたし。

じつのところは

どうすればいいかわからないのと、

なにより

「あのちらかった家に連れて帰るの無理やろ」
という理由が9割をしめたという・・・・・_| ̄|○ il||li

結果としては、この解剖をお願いしたことが
いろんな結果を生むことになるのですが

そんなこと「これっぽっち」も考える余裕ありませんでした。

ひたすら

旦那の遺体は

「うちに帰ってこなくていい」と本気で思ってました。

だっていろいろめんどくさいもん。

って。

▽▲▽▲▽▲▽▲

帰り際会社の人に渡された
主人の遺留品を
長男が預かってくれた中に

主人の携帯がありました。

そのとき
主人の遺体を
わたし、長男、次男と三人で半ば呆然と囲んでいたのですが

会社の人から渡された主人の携帯を
誰よりも敏速にカチャカチャ中身をみた長男が

私にその携帯を差し出して言いました。

「おかん、こいつ女おんで」

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