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良いゲームって何だろう?【考察】


突然なのだが、良いゲームの定義とは何だろう?

圧倒的な美麗グラフィック?
激闘を思い出させるBGM?
一点突破のゲーム性?

なるほど、どれも大切な条件だ。
どの観点からも、多くの人から愛された名作たちが思い出される

でも、僕が1番重要視している事は他にある。

いかに自分で遊びを作れるかである。

ゲームには、製作者が意図した遊び方がある。

例えばチュートリアル。決められたボタンを押し、決められたルートを通る。 他にはストーリーを進めるために強制的に敗北扱いになる負けイベントだとか、クリアしなければならないミッションだったりとか。

そういう遊びも嫌いじゃないが、もっとこう…自分の意思で自分の心に従ってプレイしていると
「ああ、いま自分は最っっっ高にゲームを楽しんでるなぁ」
と思えるのだ。

今回はその事について、僕の経験も交えて述べていきたい。

自分だけの遊び


『ベヨネッタ』というアクションゲームがある。
敵の攻撃をギリギリで回避すると時間の進みが遅くなり、敵が隙だらけになる。しかし紙一重の回避は失敗した時のリスクがあるので緊張感が生まれる。
回避が癖になるゲームだ。

ウィッチタイムが発動すると特殊なエフェクトと共に時間が遅くなる


人間は自分に最初に教えられることがあり、それは他の何よりも大切なことだ

ジョン・ロック『人間知性論』


僕が最初にベヨネッタをプレイしたのは確か14歳、この時に回避の楽しさを知ってしまった。負けたら即死もあり得るギリギリの回避、このピリッとした心地がたまらない。

そのためか、どのアクションゲームでもこの遊び方をしてしまう。
いわゆるフレーム回避と呼ばれるものである。

一般的に回避とは敵の攻撃から距離をとるものなのだが、ゲームには回避した瞬間に僅かな無敵時間が生まれるものがある。フレーム回避ではこの仕組みを利用し、(実際には攻撃に当たっているが)無敵時間の影響でダメージから逃れるのだ。

最近だと、『モンスターハンターライズ』でフレーム回避をしまくっている。

一般的な避け方は、この ↓ ゴロンと距離をとる方法なのだが

僕の場合はこう↓。

当たってる。ゴリゴリ攻撃に当たってる。そしてこの感触がクセになる。

ちなみにこのプレイスタイルは恐らく最善ではない。
確かにギリギリの回避が成功した時にのみ攻撃力が上がるスキルはあるのだが、それをわざわざ付与するくらいならもっと属性を強化したり防御力を上げたりする方が良いだろう。攻略サイトでも回避に特化した装備は見かけない。

だが僕は敢えてこの遊び方をとる。そちらの方が楽しいからだ。

ストーリーを創る


僕は子供の頃、毎日のようにトランスフォーマーのおもちゃ達を収納箱から引っ張り出して、オートボットとディセプティコンの激闘を繰り広げていた。ちょうどトイストーリーのアンディのようだ。

その影響で、ストーリーを自分で作ることが好きになった。

『俺の屍を越えてゆけ』というゲームがある。


主人公は短命の呪いをかけられた一族の1人で、プレイして2時間ほど経つと寿命で死んでしまう。その限られた人生の間に、強い武器を作り、妖怪を倒し、そして子供を作り、次の世代に託して死んでいく。その子もまた同じように生き、死んでいく。
これを繰り返し、少しずつ強い武器を揃えて強敵を打ち倒していく、世代交代RPGだ。

自分だけの家系図を作っていく

このゲームが発売されたのは10年以上前なので、ボリュームはそこまで多くない。
戦闘、訓練や武器調達、子作り、あと定期イベントの死、多分それくらいしかない。しかも主人公達は死ぬ間際でしか台詞を言わないので、キャラ同士の絡みもない。
設定の壮大さに対して物語自体は非常に淡白である。

だからこそ、自分の想像でストーリーを埋めるのが楽しい。

このキャラの親が使っていた刀を持たせてあげよう
このキャラを殺したボスに、その子供をチームの隊長にして挑もう。
もうすぐ死ぬこのキャラ、せめて孫の指南だけでもさせてあげよう。

これらは別に攻略に必要な行動ではない。むしろ感情を優先したせいで合理性に欠ける事もある。

でも、こっちの方がエモいじゃないか。

エモは全てにおいて優先されるのだ。
この遊び方で、忘れがたい思い出ができたこともある。

『ゴッドイーター バースト』というゲームでの話だ。

ナムコが開発した狩りゲー

アラガミと呼ばれる怪物を狩るチームに入隊した主人公。
そこで隊長であるリンドウに指導を受け、少しずつ力を身につけていく。

死が隣り合わせの世界で、生き残る術を学ぶ

そんな中、リンドウがある陰謀に巻き込まれてハメられてしまった。アラガミに囲まれた仲間たちを逃すため、彼は単身で敵に立ち向かっていく。そして、そのまま消息を断つのだった。

その後、次の隊長として新たにチームを率いる事になった主人公。成長した仲間と共に、陰謀の首謀者を突き止め撃破するのだった。

ここで僕は、リンドウが身につけていた装備を纏うことにした。
師匠に当たる人を失い、近づくために姿形から入ってみる。なんとも胸熱な展開ではないか。

しかし後に、実はリンドウが生きていたとわかる。
自分を救ってくれた人を、今度は主人公が1人救出に向かう。
(ちなみにそこまでの経緯が非常に面白いので、気になった人はぜひ遊んでみて欲しい)

そして迎えた最終決戦、実力もリンドウに並んだ主人公は、共に敵に向かって歩を進めるのだが…
*このゲームでは、主人公の装備がムービーにそのまま反映される。つまり…

ここのシーン、流石に鳥肌がたった。
多分このシーンは一生忘れない。
“亡きリンドウの姿を追いかける主人公”という設定を貫いて遊んだ結果生まれた、感動の共闘である。

まとめ

自分で遊びを作れるゲーム
コレこそが良いゲームの定義だと僕は言いたい。

少し話は逸れるが、自分で遊びを作るという事は非常に重要だと思う。
ただ口をあんぐり開けて提供された物を遊ぶよりも、自分から新しい楽しみ方を見つける方が、その人の中のクリエイティビティを育てるのかもしれない。

そんなことを考えながら、今日もpcに向かってゲームを作っている。

最後に、時間があったら出良いので、あなたにとっての良いゲームの定義、教えてくれません?

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