グリッドマンユニバースを観ると凄く切なくなるのは僕だけ?
先日、『グリッドマンユニバース』を見終えて映画館を出た。
実は今回で5回目、もう最っっっっ高の作品だ。
そして僕は鑑賞後、いつも切なさに襲われて胸が凄く苦しくなる。
「面白かった〜」
「感動した〜」
という感想よりも
「切ないなぁ...」
が先行するのだ。
なぜこんな感情が起こるのだろう?
今回はその事について述べていきたい。
まずは簡単な感想
映画が始まった時、「そうそう、こんな感じだった!」と懐かしくなった。
BGMなしの環境音だけで進む淡々とした日常風景が、グリッドマンの1話でも印象的だったのを思い出した。
そして裕太が内海に
と告げる。
TVシリーズが終わった時、友人と
「1話の冒頭さ、あれ裕太が立花に告白しようとして家行ったんじゃね?」
と考察を交わしていた。
実際はどうか分からないが、裕太が立花に対して好意を持っているのは演出的にも明白で、だから告白の話が出た時
「来たぜ…ついにこの時が…!」
と胸をおどらせた。
物語の導入が終わり、満を辞して怪獣が出現する。
お馴染みの新世紀中学生が登場し、ダイナゼノン組がマルチバースに紛れ込み始める。
戦闘シーンに興奮したのは勿論のこと、蓬とガウマの熱い会話といったTVシリーズのボーナスシーンや、交わった事がないキャラ達の新しい掛け合いが見れたりと日常パートも目が離せなかった。
個人的に好きなシーンは、蓬が裕太に
と言うところ。蓬のコミュ力の高さが窺える。
そして急転直下の中盤。
グリッドマンユニバースの説明がされ、アカネが登場し、そろそろ予告に映っていたグリッドマンの強化形態が来るかなぁと思ったら…
えええええええええええええ!?
えええええええええええええええええええ!?
これには流石に「やってくれたなぁ…」とニヤニヤした。
最高じゃないすか…何とは言わないけどこの圧倒的サイズ。
そして総力戦となる最終決戦。
てっきり新フォームが最強形態だと思ったら、まさかの序の口。どんどん強化形態が出てくるじゃないか。何回ラスボスをオーバーキルしてるんだ。
決着はフィクサービーム、ここで冒頭の伏線回収。勢いで押し切るように見えるTRIGGER作品、実はきちんと練られているなぁと毎回思う。
何気にツボだったのがアレクシスの
彼らしい陽気なセリフが良いよねぇ…
ここで「あ、やべ死ぬ死ぬ死ぬ。合体解除するわ!」となってたら終わりだったね。
主題歌も連続で流れ、ついに今作の『uni-verse』が流れる。
https://www.youtube.com/watch?v=UgYa0uUb6lk
つまり……これは処刑用BGM。
どんな絶望的な展開でも、それさえ流れれば主人公達の勝ち。
『ペガサス幻想』(聖闘士星矢)しかり『動転』(NARUTO)しかり例外はない。
そしてこれが意味することは他にもある。物語の終わりまであと一歩ということだ。
「あぁ…もう終わりか…(´・ω・`)」
TVシリーズでやり残したことを全て済ませて、グリッドマンや蓬たちは元いる場所へ帰って行く。
あとやるべき事は…告白だ。
誰もいない校舎へ立花を呼び出し、想いを伝える裕太。
裕太に、自分の気持ちの変化を伝える立花。
立花が少し裕太に近づき、でも手を繋ぐわけでもキスをするわけでもなく、お互い次に何をすれば良いか分からず、小っ恥ずかしそうに目を逸らす2人。
「えっ、何かするの?どうするの?」と思っていたら…ここで場面は暗転し、主題歌と共にスタッフロールが流れる。
『ローマの休日』のラストに似たソワソワとドキドキを感じさせられた。
この時、「行っちゃったなぁ…」という切なさがこみ上げる。
「終わっちゃたなぁ…」ではなく、キャラたちが遠ざかるのが悲しい。これこそが切なくなる理由である。
アニメのキャラに対して別れの意識を持ってしまうのは、この作品の独特な雰囲気のせいだ。
リアリティ溢れる登場人物たち
このアニメの登場人物たちの掛け合いは、教室の端からクラスメイト達の会話を聞いているような気分になる。
主人公の周りにいる同級生たちはとても現実味があり、過度にアニメチックなキャラ付けがない。
特撮オタクで、クラスの人気者とは言えないけど1匹狼でもない内海
違う世界の女子だけど、1つの共通点でかろうじて繋がっている立花
繊細な人ならこうなる時期もあるよね~っていうアカネ
全員が物語のためではなく、本当に生きているキャラだと思う。だから会話にリアリティがあり、アニメを見ているとは思えない気持ちになる。
某人気漫画家もこの大切さを述べていたくらいだ。
ロマンチックな恋愛映画や遊び慣れた大学生の恋愛とは違い、まだまだ手探りで進む裕太と立花の恋愛。これから喧嘩もしたりと、一利一害で彼らの恋路は続いて行くのだろう。それがどんな風になるのか、凄く気になる。
キャラの今後の人生が気になるほどのリアリティ、それがこの映画を切なくしているのだと思う。
でも、それを覗けるのは取り敢えずこれで終わり。作品はこれで終わりだからだ。
僕はこの『グリッドマンユニバース』を“グリッドマン、最終話”だと思って見に行った。
話の展開的にもこれで綺麗に完結しそうだし、何より続編が出ることに対して悲観的だったからだ。
アニメは続編が出ないことが結構多い。人気漫画のアニメ化でも円盤の売り上げがないと簡単に打ち切られてしまう。
オリジナルアニメで、しかも元ネタはマイナーな特撮、昨今の『推しの子』や『呪術廻戦』ほどの知名度もない…。
だから2度とグリッドマンは見られないと思って映画館に入った。
映画の終わり=グリッドマンとの別れと考えていたのだ。
映画のエンドロールがまるで卒業式の最後の合唱のように感じた。
僕にできる事は、グリッドマンというコンテンツに無理ない程度にお金を落とすことだけ。
だから特別展示イベントの『グリッドマンワールド』に行ってきた。
イベントに関するアンケートがあったのだが、
「グリッドマンに求める事は?」
という質問に友達が
「続編」
と回答していた。友よ、お主天才か。
そういえば映画上映の前に、折角なので今作のパンフレットを再販していた過去のパンフレットと併せて購入した。クリエイターのインタビューが楽しみで、どれどれ…
っしゃああああああ!
まだまだ応援に行くぞおおおおおおおおおお!
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