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名前のついていない海の色のクレヨン 世の中にはまだ名前のないものがある

毎日の日課として、幾つかのネット上のニュースサイトを閲覧しているとこんな商品を見つけた。


それは「海のクレヨン」というもので「Satellite Crayon Project」というプロジェクトの一環で作られたクレヨン。


どれも地球のどこかにある海の色をしている。衛星写真から摘出された名前のない色たち。何と素敵な響きだろう。


衛星放送を手掛けるスカパーJSAT株式会社が、人工衛星で宇宙から見た地球の色を再現した、12色入りの「海のクレヨン」。そのクレヨンには緯度と経度が記載しており、どの場所の海なのか特定できる。これはクラウドファンディングによって生まれたものだ。


私達の周りには、名前のない色、景色、想い、思考、素材、現象、、、まだまだ存在しているのだ。世界は未知に満ちて、どんなにも広いのだろう、、そう思うと全ての現象が愛しくも悲しく感じてくる。


そしてこのクレヨンを購入することにより、売り上げの一部は、海面上昇の危機に直面をしているキリバス共和国に寄付され、気候変動による自然災害基金に使用される。私はこのクレヨンを1つ購入してみた。


何故私がこのような海の色に心が傾いたのかというと、小学3年生の時に私は、水を緑で描いた。そうすると美術が専門だった女性の先生はひどく驚き、私に全ての色を塗り替えさせた。私は緑から青に水の色を変えた。ちなみにその先生は私の左利きを強制的に右利きに矯正した。私だけ宿題が右手と左手用で2倍だったのだ。今なら信じられない教育だが、私はその事を両親が心配するのを不安に思い、詳しく言えず宿題をこなしていた。もちろんその時私が受け止めた気持ちは純粋なものだけではなかった。大人に対する不信感も増し孤独感を強めた。


今は両手が使える事を人に伝えると器用だねと言われるのだが、私自身には不思議な癖がある。それは例えば秋という感じがある時、禾と火を反対に書いてしまうのだ。それがよくある。包丁もハサミも自分がどっちで持つのかわからない。それが矯正によっておきている現象かはわからない。


私の手元にまだクレヨンは届かないが、とても楽しみにしている。名前のない美しい海の色。様々な要素が溶け合って映し出された海の色。私の行ったこともない、これから行くこともないような海の色。クレヨンを見ているだけで旅ができそうな不思議な色。


私はこのクレヨンをプレゼントする。


私達の目に見えるもの、貴方の目に映るもの、感じた心、そしてその色、捉えた現象はあなたのものだと。自由に捉えて好きな場所に羽ばたきなさいと。


目の裏に映し出される小学生の私。黙々と一生懸命色を塗り直す私。


だけどあの体験が私の今の世界の現象を人一倍不思議なものとして捉える力を育てたのだ。


私は今あの日の私の背中にそっと手を置いている。


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後日届きました。


海のクレヨン 海のクレヨンが生まれた経緯

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