家族が○○電力会社で働いていることの葛藤
今東京で節電が呼びかけられている。
実は○○電力会社で働いている私の家族がいる。10歳も離れていて、高学歴、卒業した大学の学部もりっぱな成績で卒業し、院生として活動後すぐに○○電力会社に就職した。当の本人は親からのプレッシャーも大きかったのか、叱責も多かったと思う。大学も受かり、高校を卒業してからはすぐに家を出た。私には親から逃げたようにしか見えなかったのだが、親は当人を金銭的にも支え続けた。一方で私達の思い出はほとんどなかった。私が成長し、気がついたときには本人は必ず机に座って夜遅くまで勉強しているか、時々ゲームのセーブを私に頼んでぐるぐらいだった。(そのセーブの方法を間違えるとめちゃくちゃ怒られた)
私達家族はそんな当人の努力を目にし、仕送りを続ける親を私は目にし、私達家族は誇って生きているように思えていた。あの日までは。
3月11日を迎えてから、電力会社への社会の風当たりが強くなったように感じた。私は実際3月12、13日頃、当人に思い切って電話した。「今どんな状況なのか、現場以外に社員は知っているのか。」と。普段からほとんど深入りしない私達にとってはかなりの繊細な私からの質問だった。「わからない。」それが当人からの答えだった。
そうとしか答えられなかったかもしれない。
でも現場でもなく、会社にいる社員の皆さんが何かを把握していたのであれば、会社から伝達・指示があってもおかしくはないし、私は本当にその電話で質問した時は、当人が現場の状況を本当に正確に知らなかったと現在も思っている。(部署も様々な為)でも時間が10年経っても聞けない。あの日、どう思っていた?どう感じた?何があった?
あれから会社への社会の風当たりが強くなって社員寮の名前も隠さなくてはなり、それとは関係なく当人は年齢的な上限の為に社宅を引っ越した。父親も、もともと言葉少なげではあったが、当人にかける言葉が見つからなかったようだった。あれほど努力して大学を受験し卒業し、華々しい1流企業に勤めた家族が、個人でないにせよ非難の対象にいたことを苦しく思った。
それと同時にエネルギー転換の論議が語られるようになり、私達は電気から離れることがもし出来ても、原子力の問題からは離れられない事がわかった。廃棄にも時間がかかるからだ。原子力工学に関わる人を増やさなければならない。
チェコからドイツへ向かう特急列車の中で、なんともなんともおびただしい広大な太陽パネルの数を見てきた。隆起が少なく広大で広い土地を持つドイツでは太陽光発電は地形的に難しくないのだ。私は日本が抱えているエネルギーの供給源の問題をどうするべきかずっと考えながら、そのパネルを1人で見続けた。
しかし当人と話すことが出来ない。もししたら当人の努力の全てを何と表現すればいいのかわからない。それまでも夜中の2時に帰るなんて事は普通だった。働きまくっていたのだ。
地震が起こる前に、当人の自宅に家族と遊びに行った事がある。そうすると家族の1人が私の背中をトンと何も言わず叩いた。後ろを振り返った私は、1冊の本が目に入った。それは「日本沈没」という小松左京さんが執筆した小説だった。私はその時苦笑いした。しかしシチュエーションは違えど、SFのような出来事が本当に起きてしまった。性格的に当人もこれはただの小説、そんな他人事のように読んでいたと思えない。おそらくそのような事が起きたらどうなるだろうと思わずにはいられなかっただろうと思う。
しかしおそらく今後何があっても私自身も本当の事を知る事はできないだろう。当人と真剣に話すこともなく。私と当人の家族ではありながらも血のつながりだけで繋がっているような関係の中では。家族同士がそんなに心の内を話す環境ばかりではない。当人の人生を尊重して、見守ることしかできない。私と遊んではくれなかったけれども。それでも同じ両親を持ち、生活させてもらい少なからず互いに苦しみ、同じ体験をした同士である以上は他人ではない。
それでもあの日の事は聞けない。私に勇気もない。友人達に言えないという感情は持っていないが、当人の苦労や苦しみを優先的に話す事はできない。
私の家族、誇りに思ってる。今でも遅くまで働いているのに。ごめん。
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