悠々

長かった3年と5ヶ月を綴ります。

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最近の記事

2017.3月 胃カメラ

0930検査室に到着 0940呼ばれて中へ。嫌なはずなのに、怖いはずなのにあんまり泣き言を言わない。 覚悟しているのか、受けなければ進まないと分かっているのか。 そう思いながら見送りました。 ふと気づくと、朝一にいた人が出てきて帰る。後から来た人も帰って行く。 長い。 なぜ長い? 不安だけが募る。 いや、麻酔が切れるのを待ってるだけなんだと言い聞かせる。 1140看護師さんと一緒に出てきた。 1週間後、内科を受診する説明を受けながら、書類に書かれていた文字

    • 2017.3月

      かかりつけ医に何度通っても胃薬を処方されていた。でも今思うに、先生は絶対に胃カメラを勧めていたはず。 怖いのが嫌いな母。それになぜか「私はガンにはならない」という謎の自信があったため、いくら言われても拒否していたんだろうと思う。 でもどうしてもおかしくて、でもかかりつけ医には今さら言えなかったのか 「病院、変わろうかなぁ?」と言い出した。 近くの内科を勧めて一人で行かせる。 「触診してもろたら大きい病院に行きなさいって言われた。胃カメラ嫌やけど仕方ないなぁ」 触診

      • 2016.秋から冬2

        そんな頃、日本一を決める大会に息子が出場できることに。 遠い地での大会。とても大事な大会。行きたくて行きたくてチケットも取り準備を整えていたのに 「行かん」 たぶん殆どの人は一人で行けばいいんじゃ?と思うんだろうね。でも一人で行くと後で必ず文句を言われるのが分かってる。「あんただけ行って!」って。その時の辛さを考えると嫌になり諦めました。 なんでだろう。なんでこんなに縛られてるんだろう。自分でも不思議になることがある。 なので余計に 「腰が痛い?寝てばっかりやから

        • 2016.秋から冬

          「腰が痛くてたまらん」とよく言うようになり、大きな病院で診てもらうことに。 でも閉鎖恐怖症の母はMRIに入れず、入れなかったのを先生と機械のせいにしてました。 これをちゃんと受けられていたらもしかしたら腫瘍が発見されていたかもしれません。 これもまた後の祭り。 普段はなんてことないのに、どこかのスイッチが入ると突然ブチギレる母。 そのスイッチが何処にあるのか私は分からず、日々、「こんなこと言うとキレるかな。こんな事すると怒るかな」 そんなビクビクした毎日でした。

        2017.3月 胃カメラ

          2016.夏から秋

          「もうお腹いっぱいや」 「最近あんまり食べられへん。夏バテかなぁ」 そんなことを言うのが増えた。 「ふーん。お腹すかへんのんやったらええやん」 あまり興味がない私は適当だった。 それきり黙ってしまう母。 近くのかかりつけ医院でもらった胃薬を飲むようになったのもこの頃で、「胃薬飲んだら気持ち悪い」と言うので漢方胃腸薬を買ってやったのもこの頃。 胃カメラをのんでれば今の結果が違っていただろうと思うのもこの頃。 すべてはあとの祭り。

          2016.夏から秋

          初めに。

          2020.08.04 母が亡くなりました  73歳と4日でした 自分が感じたこと 自分の中の暗い部分 娘としての生き方 正直に 誰にも言えなかったことを 綴ります 綴ったことで 浄化されたい…

          初めに。