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どっちの方が幸せか、の答え(人生今のところの)

一つ最近自分の考え方が動いたことを残しておこうかなと思います✏️

わたしはどれくらいの時間かわかりませんが幸せってなんだろうとと考えている時に同時に
“物を持つこと、お金を持つことで得る幸せと、
経験や、景色から得る幸せとどちらがより幸せになれるのか”を考えていました
幸せになるためにはどっちがいいの?と

そしてわたしは本当は経験から得る幸せの方が幸せになれると思っていました
理由としてはものは消費されてしまうし、一時期の幸せは得てもその幸せは長くは続かない、お金も同じ、そしてなくなればより求めるし、なくなることが不安で求め続ける場合もある、
それは幸せとは程遠いような気がしていました
反対に経験は自分の中に溜まっていくし、自分を形成していく、消えないものだから幸福が長く続くのだ、と、それがわたしの持つ考えでした

その考えを持つわたしがみる世の中は
“結局はお金” “地位が全て” “生産性がないのはよくない” というようなメッセージが飛び交い
わたしが思う持続性のない幸せで溢れていました
わたしはそれに向かって真っ向から「違う!」と叫びたい気持ちでした
だから理由が欲しかった
お金を全てと思っている人たちにどうしたら幸せはそうやって作るものじゃないと説得できるのか、そればかり考えていました
つまりはわたしの持つ        
“物を持つこと、お金を持つことで得る幸せと、
経験や、景色から得る幸せとどちらがより幸せになれるのか”
という疑問は、純粋な疑問ではなくわたしの信じる経験からくる幸せが「良い」と堂々と宣言できるための理由を探していたのです
自分が信じたいから信じていいだけの裏付けを探していたんです


もちろんたくさん見つかりました
でもなんだか全て納得はできませんでした

そんな時にこんなことを読みました
「幸せは
ものか経験か、どちらかが作るというわけではなく自分の価値観とどれだけ行動がmatchしているかによって生まれます」

ほう、となりました
どっちがいいの?と問い過ぎていた分
ちょっと拍子抜けした感じになりました

たとえば
物を大切にすることの素晴らしさそを味わって生きている上で物を求めることは “その人の幸せ”になりえるし
景色に感動して生きている上でまた素敵な景色を見たいと思うことは “その人の幸せ”になる

逆に言えば
物に心を寄せる人が無理に「景色を素晴らしいと思わなきゃなんだ」と思ったり
景色に感動する人が無理に「お金を多く稼ぐことが大事なんだ」と思うことは
幸せから遠のくと

幸せになれるのは
どっちがいいの?ではなく
何を自分は望むのか
大切にするのか
したいのかだったんです
そしてそれをどれだけ自分で噛み締められるか

そして、これがよくいう
「自分に素直に」なるということなのかもなぁ、 と(これがまた難しいけれど)

それこそ幸せになることが全人類の人生の目標の全てでもないわけで、
「しなきゃ」じゃなくて「したいな」と思えば
なんだっていいのかもしれないんです

価値観が合わないから離れなきゃ、逆に合わせなきゃ、
じゃなくて
自分はこう思うのか、あの価値観をのぞいてみたいな、違う視点があるから面白いなそんな気持ちでいることで
自分の幸せにも相手の幸せにも
少し寛大になれるかもしれないなと

それこそわたしは “ものじゃなくて経験大事にしようよ!”
と意固地になり「幸せ」を無意識に押し付けようとしていた

いつのまにかわたしは単純に幸せとは何か、を探していたのに
自分の信じたいものを強調するためにそれ以外を否定しなくちゃと躍起になっていた

ここからもしかしたらようやくもう一度
自分に素直な”幸せとは何か”を考え始められるのかもしれません

そして価値観はいつでも変わりうるいうことも念頭において…

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