なんて素敵な村に暮らしてるのかと気づいた1日
この村に嫁いで18年。
今日初めて『茅刈り』に参加した。
かやぶき屋根に使うあの、茅。
ススキとの違いもわからないまま
初めて扱う鎌のキラキラの刃にちょっと子供のようにワクワクしながら
私もカッパに長靴履いて
村のレディたちが集まった♪
なんて広いんだろう・・・
見渡す限り、ってこういうことを言うんだろうと
思わず両鼻おっぴろげて胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
日本でカヤが育つ場所は限られているのだそう。
そして、ここでしか育たない品種があるのだそう。
春の野焼きから始まって多くの地元の方々の努力でここが守られ
カヤが守られていることを知った。
こんな小さな『限界集落』と呼ばれて久しいこの村が
日本でここだけを持ってる!
私はなんて誇らしい、なんて素敵な村で生きてきていたんだーと
改めて気づかせていただいた。
カヤをゴソっと抱き寄せ脇に抱えて鎌をスッと引くとザクっと切れる。
お!力でするんじゃないんだー。
80代のばあちゃん達がこれをやってきていたってのはこういうことか♪
このシンプルな動きを汗いっぱいかきながら続け
両腕で抱きしめれるくらいになったら、縛る。
これを6束づつで立てていく。
かやぶき屋根の吹き替えは60年に一度なんだそう。
先人たちは次の60年後の吹き替えの時に後世が困らないようにと
毎年毎年刈り続け屋根裏に保存をし続けていたのだそう。
60年保管できるというのだから本当に驚きだ。
昔の人って本当に不思議。。。
最初はこれを誰に教わったんだ?
いや、やりながら気づいていったのか?
ググることもできない、遠くの人とコミュニケーションも簡単にとれない時代からずっと引き継がれているその数々の知恵には
どうしてだかわかんないけど結局それが一番いいんだよ、がいっぱいだ。
まとめる太さも、6束づつも、やっぱりそれが一番いいんだそう。
私がザクっと切ったカヤたちはいったいいつどこで使われるんだろう?
なんだかちょっと、ワクワクした。
この大切なお仕事の後継ぎを決意し守っている青年の
本物の笑顔と汗と大きなゴツゴツしたその手は
とても眩しかった。
伊勢神宮の屋根の吹き替えを成し遂げてしまった偉大な父ちゃんの跡を継ぐってのは、小さい時から決めてたの?
いや、そうじゃないんっすよ。
若い彼の心の動きを聞いて、なんだかとても心が熱くなった。
仕事は習うもんじゃない、習ったことは忘れる。自分で学ぶもんだ。
そう言っていた父も、老いていく。
村を出ていろんな人と出会いながら自分の道を模索する息子もまた
日々成長していく。
その中で
「自分で決めた」
だからこの笑顔。だからこのゴツゴツした手。
かっこいいなって、そう思った。
「休憩しよー!」
当たり前のように自家製の漬物や剥かれたリンゴ、お茶菓子が回る。
この気遣い。気配り。
持ち物にあったとおりおにぎりと水筒を持参しただけの自分の未熟さが
急に恥ずかしくなった私だったが
かあさんたちはみんな「家にあったもの持ってきただけよ~」と笑う。
そうか。
みんな、自分軸で生きてるからこんなに笑顔が素敵なんだ!
人からの評価とか誰かのためにじゃなく
私がしたくてしてるのよ♪
『習うもんじゃない、学ぶもんだ』
人を育てるのは親や先生だけじゃない。
この村でたくさんの人に見守られながら子育てできたことを
とても幸せに思った。
村の子供たちはみんな、春にこの場所を訪れる。
『山菜採り学習』という授業だ。
この村の大自然だからこそ芽吹く山菜を通して、地域の方からたくさんのことを教わり、学ぶ。
保護者の参加も認められているけれど
私は子供たちが小学生だった頃は宿の仕事で必死で
一度も参加できたことがなかった。
そういえば、保育園のプール参観も結局抜け出せず一度も行けなくて
「ママ、今日来てた?」と聞かれると
「見てたよ~。こっそり木の陰から見てた!上手に泳げるようになったね」
「やっぱり来てたか♪よかった~!」
ちっちゃな嘘に胸が傷んで
5升のお米を大きなお釜で研ぎながら
一人こっそり泣いたりしていた。
いつのまにか子供たちは
自分が生まれたこの村の良さや価値をたくさん学んでおり
私よりこの村に詳しい。
自分軸で生きる。
私のために生きる。
私の感情を大切にする。
そうすることができなければ、人のためになんてことはできないんだ。
そんな生きた学びをいただいた、今日一日でした。。。
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