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自分を大切に生きると誓いますか?

よくYouTubeで、本の解説動画を見る。
精神的に病んでから、本を読むのはとても気力がいることだと知った。
それでも新しい知識を得たい、今後の生き方のヒントが欲しいと思い、動画を見るようになった。
(もちろん、少し元気になった段階の話)

色んなジャンルの本の解説があるが、私は自己啓発の解説をよく見る。なかなか書店では、自己啓発のコーナーに行きづらい(考えすぎ)し、詐欺かと思うくらい大袈裟な言葉が連なってる表紙を見ると、それだけでお腹いっぱいになってしまう。

解説動画の良い点として、その本の要点(つまり自己啓発本でいえば自己啓発の手順や方法)をパパッと知ることができる。
動画を見てもっと知りたいと思えば、実際に本を購入すればいい。(私も3冊ほど購入した)


私は朝、動画を見て、今の状況を整理したり自分について学んだりするのが習慣化してきている。
夜は無条件に病むのでオススメしない。
朝に具体的なことを考え、夜は感情を思いっきり吐き出す、みたいなルーティーンで生活している。

話が寄り道しまくったが、
そんな解説動画や本を読んで気付いたことがある。

それは、
「自分を大切にしたい」
「自分を知りたい」
という欲求だ。

いや、自己啓発本読んでるくらいなら自分を知りたいんじゃないの?と思うだろう。
私もそう思う。
ただ、これはどんな質問でも、どんな自己啓発のワークをしても、そして今置かれている状況からも、必然的に出てくる欲求だった。

2度精神的に病んでしまったきっかけも、自分を大切にできなかったから、自分を知ろうとすることをやめてしまったからだったと、今振り返ると思う。

noteのプロフィールに、「自分を大切にした生き方」と書いているが、その裏には「自分を大切にしたい!」という気持ちが隠れていたのだ。
いや、隠れてないやろ、まんま言ってるやんって思うだろう。
私もそう思う。

結局は自分が納得してるかどうかだと思う。
ただ漠然と「自分を大切にした生き方したいなー働き方したいなー」と思っているのと、
「自分の根源的な欲求として自分を大切にしたいと思っている。それは人生の目的であって、そのための手段(目標)はいくらでも変えられる。」と思っているのでは、実感として天と地の差がある。

この言い回しだとどの自己啓発本を読んだかバレそうだが、これくらい体系的に言葉にできるとスッと腑に落ちる。

私はこの先、自分を大切に生きると誓う。
牧師さんに聞かれても、全校生徒の前で宣誓しろと言われても、同じように誓う。

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