【物語】月と流星群
月が、ほんのりと照らす夜だった。
ぼくはベランダでひとり、空を見上げていた。暗い夜空に滲むような月明かり。夏は夜が心地いい。汗ばんだぼくの肌を、夜風が優しく撫でていった。
相変わらず騒がしい街は、夜の寂しさを紛らわしているようで、ぼくには馴染めなかった。仕事が終わっても、どこにも寄らず、ウチに帰って静かに過ごした。今日みたいに空が綺麗な夜は、ベランダで空を眺めていた。
空だけが静かだ。音は重いから、地上に溜まっているのだろうか。なんてことを、ぼんやりと考える。とりとめのないことを考える時間ほど、贅沢な時間はない。
夜が深くなるにつれ、空が降りてきたように、静かになった。もう三時間も空を見ている。理由なんて、ない。ただ、空を見ているのが、好きなだけ。子どもの頃から、空が好きなだけ。
どこからか流れてきた雲が、薄っすらと月を覆った。夜の暗さが増した空に、星がひとつ流れた。あ、流れ星。声になる前に、次の星が流れた。ほんのわずかの間に、数え切れない星が流れはじめた。ぼくは、その美しさに見惚れ、口を閉じるのも忘れて、空を見上げた。
流れる星たちは、しだいに集まり、光の川になった。ゆるやかなカーブを描きながら、ぼくのところまで降りてくる。
「魚だ!」
見上げた先には、無数の魚。青く白く光りながら、空を泳いでいる。ベランダの手すりまで降りてくると、魚たちは、ぼくを待っていた。ぼくは、手すりを乗り越え、魚の群れに飛びこんだ。
魚たちの流れに乗って、夜空にのぼる。風を切り、夜の中を進む。道なんてない。ただ、流れに任せて。地上は、闇の濃度によって形作られ、空の方が明るい。風の波に乗りながら、なにもない、空だけの空をいく。ぼくは、いま、魚かもしれない。
夢中になって、空を泳ぐ。海に出ると、風が変わった。風の重さを感じる。ぼくらの姿が海に映って、水面に光の道ができた。引き寄せられるように、海の魚たちが集まる。それは遠く、形は見えないけれど、光の下に影となって見えた。道をつくったぼくらの光とは、別の温かい光が、ふと水面にさす。
見上げると、月にかかった雲の端が、月から離れようとしていた。雲が切れ、月が顔を出すと、空を泳いでいた魚たちは、いっせいに光の粒になって、夜空に散った。はっ、と息を吸った瞬間、ぼくはベランダに立っていた。
月は、ほんのりと夜を照らしている。
夜風が、ぼくの肌を優しく撫でた。汗ばんだ肌は、所どころ、青く白くキラキラと光っていた。ぼくは、魚になったのだろうか。
つぶやいた言葉は、子どもの頃のぼくを呼んできた。
いつかの七夕に『空を泳ぐ魚になりたい』そう書いたぼくを。
お題: #願い花月香
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