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BLOODY SUMMER

不定期かつマイペース(遅い)ながら自分の好きな物について色々書くシリーズ。
タイトルを付けたら少しでもペースの改善になるかと思い(何でも形から入りたい)タイトルを「電激文字通信(仮)」にしておこうと思います。今後ともよろしくお願い致します。

今回は自分の心に残り続けてる夏休みの記憶について。子供の頃の夏休みの混沌の記憶。

人それぞれ好みは当然あると思いますが、僕は夏が嫌いである。単純に暑いのが嫌いだし、そもそも嫌いな虫が大量発生するのも気に入らない。おまけに革ジャンをそう簡単に着れない(これに関しては気合いの問題でもある)ので、嫌いなのである。
これは子供の頃からずっと変わらずなのですが、そんな嫌いな夏でも楽しみな事がありました。それは物心ついた時から小学校高学年の頃まで毎年夏休みに泊まりがけで遊びに行ってた「紅葉パラダイス」への家族旅行。

紅葉パラダイスとは?簡単に言うと「宿泊施設が併設されたデカい健康ランド」的なスポットだったのですが、とにかく子供の頃の僕には刺激的過ぎる施設でした。
色々なお風呂がある大浴場、レトロゲームと新作が入り交じったゲームコーナー、どデカいプールとウォータースライダー、大宴会場、果ては小さいながらも遊園地まであった「とにかく楽しそうな物を全てぶち込んでみました」状態。毎回時間があっという間でした。

だがしかし。こんなに刺激的なスポットなのに誰に話しても知ってる人が居ないのです。学生時代、社会人になってもその状況は変わらずでした。
僕は妄想で理想の遊び場所を考えていたのか?そんな状況に変化が出たのはある日のテレビ番組。全国放送の番組でとある芸能人が「昔、紅葉パラダイスに連れて行ってもらうのが楽しみでした!」と言うてるのです。

しかし、僕と同じく誰にもそれが伝わってない。やはり妄想じゃなく現実。しかし何故、殆どの人は知らないのか。

そんな中、先輩方とお酒を飲んでいる時に何かの会話の流れで紅葉パラダイスの話をしたら「それ!ジャングル風呂あったとこじゃない?ワニ泳いでるやつ!!」という驚きの一言が。
ワニが泳いでる?そんな松永光弘テイストなデンジャー風呂、プロレスに興味が無かった子供の頃でも見てたら絶対覚えてるはず。
しかし自分が行ってた時にそんな風呂は無かった。。

ジャングル風呂があったのと思い出の場所は同じ場所なのか、別の施設なのか。毎年夏になると思い出す紅葉パラダイスについて改めて調べてみたら色々分かってきたのと色々思い出してきたので記録しておこうと思います。


紅葉パラダイスの真実

ネットで調べてみたら、なんとWikipediaに紅葉パラダイスについての記載が。余りにも呆気なく詳細が分かりました。ありがとう、文明の力。

紅葉パラダイスは1966年にオープン。後に「びわ湖温泉 紅葉パラダイス」と名称が変更され、1991年には「びわ湖パラダイス」としてリニューアルオープンしてました。

自分が行き始めた頃はまだ紅葉パラダイスの名称で、途中からびわ湖パラダイスに名前が変わってたみたいです。家族揃って旧名称で呼び続けていた+びわ湖という事は滋賀県。
周りのクラスメイトに話してもそりゃなかなか伝わらないし、全国ネットの番組で芸能人が話しても関西圏の施設の事となると話が伝わらない訳である。周りに伝わらなかった謎が一つ解けました。
更に何と先輩から聞いたジャングル風呂についても記載が。

「入り口に架けられた橋の下にワニがいる事で有名であった。(リニューアルを機に一般的な風呂に改められた)」
先輩が言うてた施設と思い出の場所はやはり同じ場所だったのだ。そして、リニューアルが1991年。自分は小学校一年生の年。
幼稚園位の時から行ってた記憶が微かにあるので、ギリギリ本物を見てるはずなのに記憶に残ってなかったのだ。ワニが引退間近で元気無かったのか、僕が興味持たなかったのか。分からない。しかし、同じ場所だったのだ。

更に調べていくとYouTubeには昔のCMがあったり(ゴリラが怖い)、自分と同じように紅葉パラダイスの思い出を書かれてるブログも発見する中で、驚きのブログが。
自分と同じように紅葉パラダイスに幼少期から通っていた方が、手元に残っていたパンフレットと自分の記憶を元になんと施設の間取りの説明を書かれている驚愕の内容。

読んでいるうちにハッキリと色々思い出したので、施設の説明よりナカヨシ個人的紅葉パラダイスの思い出を少し。

CMの着ぐるみゴリラ。
B級テイストで怖い。


ナカヨシ的紅葉パラダイスの思い出

とにかく小学生の時である。食に関する思い出が乏しい。それでもハッキリ覚えているのは、夕飯は基本的にどデカい舞台がある座敷で毎回食べていた。調べてみたらレストランか座敷か選べたらしいが、多分両親の趣味であろう、毎回座敷だった。ここで中国雑技団のショーやよく分からん演歌歌手のライブを観ながら食事をしていた。
オヨネーズがライブやってたのを「変わった名前の人達だな」と思いつつ冷えた料理(時間予約制だったから、家族が到着してるしてない関係無く料理は配膳されてたと思う)を食べた記憶がある。

しかし、施設内の飲食店の飯が美味かった記憶はある。宴会場に持ち込んで食えたのもあって、おでんを毎回買いに行ってた。そして、一緒にSDガンダムの「きゃらかーん」を買って貰えるのが楽しみだった。地元では殆ど見かけず、紅葉パラダイスではいつもあった、きゃらかーん。今、再発しても売れるはずである。バンダイさん、検討して頂きたい。

大宴会場。夜は1F、昼間は2Fで食事してた記憶が。


きゃらかーん。
スラムダンクやドラゴンボールのもあった。


施設内に中庭みたいな場所があり、そこで小さな夏祭りみたいなのもやっていた。
そこではどデカいスクリーン+大爆音でウルトラマンの映像を流していた。同じ物を持っていたので間違い無いがあの映像はビデオウルトラ怪獣大百科シリーズの「主題歌集」だった。色々アウトな気もするが、アットホームな施設で有名だったらしい紅葉パラダイス。流石のチョイス。

大爆音で音楽が流れ、映像が流れ。
小学生にして、今に繋がる音楽イベントにのめり込むきっかけがそこで完成していた。

しかし、この映像にはとんでもないラストが。放送順にウルトラヒーローの曲が流れる中、ウルトラマン80の後に何故かウルトラQだったのだ。

先程までとは打って変わって、ドロドロの曲、モノクロ映像。暴れ回るガラモン。
この時、ケムール人の目玉のドアップがスクリーンに映し出された時、自分の中で何か説明の出来ないテンションの上がる気持ちがあった。その結果、今だに怪獣好きと言い続けてるオッサンになった。

夏の夜空にこれドアップはまあまあハード。

そんな中、自分の最大の楽しみは温泉(はだか天国と言う東映のポルノ映画みたいな名前だった)とすぐ隣にあったゲームコーナーであった。

温泉コーナーの看板。字体が良い。

風呂入るか、プール入るか、ゲームコーナーに居るか。本当にこの三択だけで紅葉パラダイスを遊び続けていた気がする。基本的に格ゲーしかしてなかったが、特にここで餓狼伝説スペシャルとワールドヒーローズ2にのめり込んだ。

風呂上がりの夜遅くでゲームコーナーの閉館時間間際。今思えば無謀やし無茶苦茶だったなと思うが、「開いてるから」という理由で乱入したと思う。しかも別筐体では無く、隣合って対戦する形の筐体で。
当然のようにボコボコにされたのだが、相手のお兄ちゃんに気に入られ、ずっと一緒に対戦してた。強い弱い抜きでゲーセンでやる格ゲー面白いなと思ったキッカケだと思う。

そしてどういう訳が翌日も自分が帰るまで一緒にゲームコーナー遊んでくれたのだ。
確か翌日は彼女さんなのか、奥さんだったのか分からんが女性も居た。今思えば、二人で遊びに来てたのに見ず知らずの子供とゲームコーナーで遊び続けてくれてたカップル(若い夫婦?)には感謝しかない。前日に続いて餓狼伝説スペシャルとワールドヒーローズ2をやり続け、餓狼伝説スペシャルでは超必殺技コマンドを教えてもらってた中、ビリーカーンの超必殺技「超火炎旋風棍」を出せた時の達成感は今でもハッキリ覚えてるし、一緒に来てた女性もめちゃくちゃ格ゲー強かった衝撃も忘れられない。

ゲームコーナーの一角。
こういうゲームコーナーは残し続けるべきだと思う。


タイトル忘れた競馬ゲーム。
おじさんはこれに群がってた。


超火炎旋風棍。
今でもビリー・カーンを使います。

こじんまりした遊園地には全く行かなかった。CMにも出てくる謎のロボットが毎回気になるけどプール、ゲームコーナー、お風呂の事で頭いっぱいだった自分にはそこまで響いてこなかった。悲しきロボットである。

CMではめちゃくちゃ目立ってる
悲しきロボット。

因みに今、紅葉パラダイスはどうなってるのかと思ったら、1998年に閉館していて、現在跡地はマンションとスーパーマーケットになっているらしい。
1998年はちょうど我が家がゴタゴタで、一切旅行等に行かなくなった時期だった。そこと被っていたなんて。

我が家の裕福な時期と思い出の場所の全盛期がほぼ同時期だったのかなと思うと、不思議と強烈に記憶に残ってたのも何だか納得がいく。

まだ、紅葉パラダイスが残っていたら行きたいか?と問われたら即答でこう言いたい。

「あの頃と同じ遊び方で一日過ごす」と。

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