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〜朝の読み物 《夏 2022.7.18》〜


新宿区役所通りに出た。

ここを歩いてくるまでにもいろんな店からいろんなやつらが気だるそうな顔で出てきたけれど、またパラパラと人が増えてきた。
駅を目指して黙々と歩くやつらはみな同志のようなものだ。

前から白いブラウスに紺色のロングスカートをはいた若い女と、黒いTシャツにグレーのズボンをはいたオヤジが歩いてくる。
女はオヤジの腕に腕をまわし、キュッと口角を上げて笑みをみせている。夜中頭をフル回転させて、今にも脳がとろけだしそうな俺には、その笑顔の真偽はわからない。

くたびれたシャツを着たジジイの腕に300万の時計が絡まっていたり、はげ上がった頭皮も、体中の穴から滲み出る汗も気にせず歩くオヤジが5,000万の車を走らせたりしている街だ。きっとあのオヤジもそういう類の人種なのだろう。

すれ違いざまに、女のヒラヒラとしたブラウスの袖口が俺のジャケットに触れるようにぶつかった。オヤジが女ごとわずかに右に避けようとしたが、話すことに夢中な女のせいであまり意味をなさなかったようだ。
「それでも一緒にいるよ。カナタと。」
はっとして振り返ると、女は楽しそうに笑顔を向けて言い、オヤジはそんな女を愛おしそうに見つめているように見えなくもない。
けれどきっと、あの女はあのオヤジの餌食になるんだ。まあそう思わせておいて女の方がオヤジを食うかもしれないが、どちらでもいい。

駅前の喫煙所のいつものところで、タバコに火をつける。
空に向かって息を吐く。
灰色の空に灰色の煙が舞った。
これから仕事と思われるサラリーマンと目が合うが、すぐに目を逸らされる。
そんな目で俺のことを見るくせに、夜になればお前だって鬱憤晴らしに街にくり出すんだろ。

「レイのために」
「レイがいるから」
「レイは私のこと」
いろんな女のいろんな声がする。
その声を聞きながら煙の行方をみつめる。

きらびやかな世界は俺らの夢のためにあるものなんかじゃない。誰かの憂さ晴らしのために用意している世界だ。テーマパークのように、全てが作り物。咲宮麗なんてまがいものだ。俺という器に女の妄想で出来上がった人格をねじ込んだだけ。まがいものだから、きっともう無理なのだ。

じんわりと暑くなってきた。
タバコを咥えながらネクタイを外し、ジャケットを脱いだ。

寝ている時間を除けば、俺が俺でいる時間はとても短い。それを望んでこの世界に入ったのだから、そんなことはどうでもいい。
どうでもいいのだが、先ほどすれ違った女のせいで、それを悲しいと言ったやつの顔がちらついて嫌になる。

絶対にのし上がってやると意気込んでいたのに。
いつの間にか売上は頭打ちになり、次から次へと入ってくる若いやつらに追い抜かされていった。
負けを認めてしまえばそこが引き際となってしまうのがわかって、限界を感じながらも目を逸らしている。


「それでも一緒にいるよ。叶多と。」

オヤジのくせにカナタかよ。

灰皿にタバコを押し付ける。必要以上の力を込めて。真っ黒な俺の痕跡を残すように強く。
足元に目をやると無数のごみが散らばっている。
誰かの心から剥がれた落ち行き場をなくした道徳心の残骸のようだ。


総武線に乗り込んだ。
街が流れるように動き出し、俺は宮崎叶多への帰り支度をする。
もう咲宮麗になんてなれないと思いながら。

「汚ねぇ街だ。」

こぼした俺の言葉に、隣りの女がびくりとしたが無視して眠りにつく。



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