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20年くらい納得いかなかった、贈ることば

こういう話

  1. 小学校の卒業式直前、担任の先生から“納得いかない”贈ることばをもらう。

  2. それから数十年、“こういうことなんじゃないか説”にたどりつく。

  3. 四十歳をすぎて、自分の“好き”に素直になった結果、野望ができた。

  4. あの日納得いかなかった贈ることばが、寄り添ってくれてると気づく。

理想を持て。でも追うな?

むかーしむかし、小学校の卒業式を数日後にひかえたある日、担任のK先生が教卓に箱を置いた。短歌とか俳句などを書く用の、細長い短冊がたくさん入っている。 表を伏せているので何が書いてあるかはわからない。
先生は一人一枚、表を見ずに取るようにと言った。 なんとなく目についた一枚を取り、先生の合図でみんなで一斉に表を見る。

『理想は持つべし追うべからず 実行の努力が実現する』???

子どもながらに違和感があった。理想は追うものじゃないの?
「それは先生からみんなへの卒業祝いのプレゼントや」 と先生は言った。
筆ぺんでさらりと書かれた字。互いに見せ合うと、みんな違う言葉。同じ言葉をもらった人はいない。英語、フランス語、ドイツ語、ラテン語、漢詩、古文。古今東西の言葉たちらしい。「これ何語?」「ぜんぶ漢字や」 周囲でちらほら声が上がる。先生は誰にも意味を教えることはせず、
「くじ引きみたい選んでもらったけどな、その言葉と縁があったと思ってくれたらうれしい。いつか役に立つ。よかったら覚えちょってな」 

役に立つ……のかな。
わたしがもらった言葉はばっちり日本語だし、読めない漢字もなかった。何語がわからない言葉をもらった友だちからはうらやましがられた。でも、わからない。というか受け入れられなかった。

『理想は持つべし追うべからず 実行の努力が実現する』 

理想を持てというのは分かる。おかしいのはその後だ。理想を追うな? 追わなくてどうするの?  追わないのに努力? 

K先生が担任だった5年生と6年生の二年間、我らが3組にはおそるべきスローガンがあった。
<常勝の三組>
学校生活では クラス対抗の形で優劣を競う行事が多い。ドッヂボール、長縄、空き缶拾い、リレー、合唱、マラソン。七夕の飾り付けだって審査されるから、クラスに1本ずつ与えられる2メートルくらいの竹を、折り紙の技巧を駆使してこれでもかというほど飾り立てる。
「常に勝て。負けは許さない」
先生は言い続けた。クラス対抗イベントで優勝できなければ、罰として土日がつぶれるほど大量の宿題を出される。いじめだのケンカだのをしている場合ではない。全員で結束して望まなければ、勝てるものも勝てない。早朝放課後の自主練習もしたし、苦手な子のフォローのための策をみんなで話し合ったりもした。本番前は負けられないプレッシャーに足がすくみ、結果が出る直前はいるかどうかも分からない合唱の神様にだって祈った。がんばったって祈ったって負けるときは負けるのだけど、勝ちにこだわっただけあって、他のクラスがことあるごとに「打倒三組」を掲げるくらいにはわたしたちは強くあり続けた。

そんなことを二年やってきたのだ。理想を追い求めるのは当たり前だった。ところが最後の最後で「理想を持て。でも追うな」である。今までのはなんだったのかと、だまされたような気さえした。
放課後、先生にこの言葉はおかしい言ってみた。
「そうやな、おかしいな」先生はニヤニヤしている。「意味が分かるのは、大人になってからやな。考えなしに生きとったら一生わからんかもしらん。それは先生からの最後の宿題や。考えてみよ」 

捨てるのも気が引けて、とりあえず短冊を自分の部屋のカーテンレールの上に置いた。そばに時計があるために、自然と目に入る。おかげで小学校最後の宿題を忘れることはなかった。

こういうことなんじゃないか説


二十歳をすぎて、さあ大人になったぞと改めて読み返してもやっぱり納得できない。それからさらに十数年。社会人としてこなれてきたころ「あー、ひょっとして」と思い当たるようになった。

かなり俗っぽい例だけど、たぶんこう考えるとわかりやすい。
いい服を着て、いい車に乗って、毎日のように高い店で食事をする。たとえばこういう理想があったとする。これを叶えたければ、それに見合う経済力がいる。ところが身の丈に合ってなくても、借金したり、なにか悪いことをすればかんたんに実現できてしまう。表面的に取り繕うことができる。努力というプロセスをすっ飛ばし、手に入らないはずのものを得ようとする。これが「理想を追ってしまっている」ということじゃないだろうか。

『理想は持つべし追うべからず 実行の努力が実現する』 

理想があるなら、ズルをしないでそれに見合う努力をしましょう。その努力の結果が理想を実現してくれますよ。と、この言葉は言っているっぽい!(ドヤッ)

……ってか、とってもあたりまえのことのような……。合ってる?(笑)数十年ごしになったけど、ひとまずこれで回答欄を埋めようと思う。K先生、よくできましたシールくれますか?

理想は持った。でも追わなーい

小さいころから物語を考えるのが好きだった。人から文体が純文学に向いてると言われてこれまでは純文学系の文学賞に応募してきたけど、本当に好きなのはアニメ。わたしがつくる物語が映像化されるならアニメがいい。実力のある若い人が活躍する業界。40過ぎの初心者なんてお呼びじゃないだろうことは百も承知。それでも自分の“好き”に正直になった結果、願ってしまったのだからしょーがない。
アニメ化される物語をつくりたい!

この理想というか、野望を叶えるため、去年(2023年)から脚本の勉強を始めた。ノウハウ本を読んで、名作映画を観て、プロの脚本家の指導を受けられるスクールに通ったりもしている。講師の先生によると、脚本家になるには、少なくともコンクールで最終に残るくらいの実績が必要らしい(1等賞じゃなくていいってのはうれしい)。最終に残りたければ応募するしかない。
わたしにできるのかな? ひとりで作品づくりをしていると、とんでもない人生のムダ遣いしている気がして手が止まることがある。時計を見上げるとその横には先生にもらった短冊がある。

『理想は持つべし追うべからず 実行の努力が実現する』 

せめてあと一枚書こうと思える。なるほど、K先生が言ったとおりだ。役に立つ……というか、寄り添ってくれてる。あと一枚、もう一枚。そうやって『実行の努力』を重ねていけたらいいな。めざせアニメ脚本家!

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