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監視と自立の違い

今回のテーマは、動作の自立度における、監視が必要なレベルと自立との意味の違いについて書いてみます。

眠いけど今日も書きます。待ってるひとがいますので。(今のところほぼ誰もこのnote見てないです。)

リハを受けている患者さんには獲得したい動作があり、リハが進むにつれて、その動作の自立度はアップしていきます。介助量で言うと軽減していきます。

最初は、患者さんの歩行練習をするのに療法士ががっつり腕を介助していたのが、少しずつその療法士の持つ手の力が弱まっていき、いずれ、療法士が患者さんに触れなくても患者さんは歩行練習出来るようになります。これは自立度でいうところの「監視レベル」というやつです。そして、最終的には介助者がそばにいなくても自由に自分の意志でその動作が出来るようになる「自立」を目指していきます。しかし、この「監視レベル」から次のステップ「自立」に行くまでには、今まで登ってきた階段とは同じ一段でも、けた違いに高い段差があると思っています。

監視と自立はどちらも介助を必要としていない状態で、患者さんに求められる運動は全く同じレベルです。この二つは、FIM(機能的自立度評価法)で言えば、7点満点中たった1点の違いです。

では、監視と自立の違いは何かというと、当然、転倒などのリスクがあるかないかですが、患者さん目線になってみると、もっと重要な違いは、動作時の患者さんの精神状態です。これも当然のことですが、ここをもう少し掘り下げて書いてみます。

例えば、歩行リハを受けられている患者さんにとって、歩行中は常に転倒に対する恐怖にさらされています。この恐怖を取り除いてくれるのが、監視の存在です。いつ自分がバランスを崩しても、すぐに助けてくれるという安心感が、自身の体に意識を集中させ、ダイナミックな歩行に挑戦させてくれます。一方で、この監視が無くなったとたん、つまずいたりバランスを崩したりする失敗は許されず、転倒への恐怖が患者さんを覆います。この転倒に対する恐怖が全身の筋緊張の調整を難しくさせ、滑らかな運動を邪魔します。特に、片麻痺などの神経系疾患の患者さんは、この転倒に対する恐怖の、運動への影響が、如実に現れます。

つまり、監視と自立の間には、単に動作能力による差があるだけでなく、転倒への恐怖に打ち勝って、自身の身体を制御出来るか否かの差があります。

この壁を越えないままリハを終了した患者さんは、例えば、退院して在宅に帰った患者さんの場合、介助なしで歩く能力があるにも関わらず、転倒が怖くて歩く頻度がドンドン少なくなり、せっかく獲得した歩行能力が衰退し、やがてはまた歩けなくなることがあります。

ですので、特に在宅で生活する患者さんでは、この監視と自立の間の壁を越えておくことがめちゃくちゃ大事です。

では、どうやってこの壁を超えるのかですが、自立の練習は自立でしかできないです。(何言ってるか自分でも分かりません)
つまり、転倒の恐怖に怯えながらも歩く練習は、監視下では出来ないです。だから、監視と自立の間で練習します。これは、患者さんからすれば、今バランス崩したらこける、という状態であるのと同時に、療法士からすれば、万が一バランス崩したらギリ助けられる、という状態です。それは、患者さんと療法士の距離であったり、助けるタイミングであったりで調節します。僕は、よくこけるギリギリまで助けないです。(ドSです)こうして転倒の恐怖下での練習を繰り返し、転倒の恐怖に打ち勝って自立を獲得するのです。

まとめると、監視と自立では、患者さんの動作時の転倒への恐怖感が違っていて、この壁を乗り越えるためには、歩行練習に工夫があるといいです、という話です。

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