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さみしさの正体

我ながら、
根無し草、だなぁ。

広島の実家、東京の家、
住むところは2つあるけど、
どちらも落ち着くところもあるし、
落ち着かないところもある。

ただ今のところ、移動のことは
「広島に帰る」
「東京に戻る」

と言うから、やはりホームは、
広島と思っているのかなぁ。

***

親や祖母、親戚のおじおばに、
「またね」
と、あいさつをするのは、
何度やっても慣れず、辛い。

広島に住んでるときは、
すぐ会えるね~って感覚があるから、
「来週またちょっと来るね」
くらいのあいさつができた。
だからお別れのさみしさは小さいもんだった。

今は、
「次会えるのはいつかね?」
が最後のあいさつになっていて、
はっきり答えることができない。

さみしい、心細い思いをさせていると感じて、
とにかく辛い。

直球で
・もっといてくれていいんだよ~。
・次いつ会えるかわからないもんね。
・さみしくなるなぁ、心細いなぁ。

なんて言われたときには、
もうどうしたらよいかわからない。
さみしさといたたまれなさで、
胸が締め付けられる感じ。

***

一方で、
わたしのさみしさも彼らのさみしさも、
誰のせいでもない。

わたしのさみしさは、
・また仕事に追われる不安

が根底にあって、

家族のさみしさは、
・これからの老後の生活の不安

が根底にある。

だから、わたしがずっと広島にいれば、
わたしのさみしさ問題と
彼らのさみしさ問題が解決するかというと、
実はそうではない。

各々が、
誰かがどうしてくれるのを待つわけでなく、
自分の行動や考え方を変えることでしか、
解決できないんだと思う。

***

そう考えると、楽しい毎日は、
誤魔化しなのかもしれないとすら、
思えてきた。

だれかと一緒にいれば、
1人ではないと感じるし、

休みに仕事をしなくても、
休み明けたらバリバリと取り組むし!

なんて、思ったりする。

どちらも、その限られた時間だけ、
本質的な問題からは解放され、
逃げている、とも言える。

***

みんな一緒にいる一日も、
バラバラの一日も、
同じ一日。

根本的な問題は、
誰といようとどこにいようと、
自分が向き合って克服するまで、
つきまとってくるもんだ。

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