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世界は等しくあなたを見ている

2本立てで映画が見れる、
近所のミニシアターがマイブームです。

先日は「星の子」と「あのこは貴族」でした。



この2本の映画のチョイスは、
どうやっているんだろうか。

星の子
(ちひろだけが、大好きな両親を信じた)

あのこは貴族
(同じ空の下、私たちは違う階層(セカイ)を生きているー)

※( )内はサブコピー

という映画なのだけど、

~世界は等しくあなたをみている~

という別のコピーが、
2本の映画のテーマ的に
書かれてるんですよね。

映画館の人がつくってるのかな。
センスが良すぎてビビります。

2本見て
意味が分かった気がしました。

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心に残るセリフはたくさんあったのだけど
その中でも最も心に残っているのは、

「自分の意思で、ここにいるのではない」

というような言葉です。

「星の子」では
宗教組織で催眠術使えて
オーラが見えるという
黒木華演じる昇子が、

「あのこは貴族」では
富山から出てきて慶応大学に入学するも
学費が払えず退学し東京で生き抜いていく
水原希子演じる美紀が
言うセリフです。

映画も違うし、
見えている世界としては
全く違う人生歩んでいるように見える
2人なんだけど、
言っていることは同じような
気がしたんです。

そして、

どんなことにも優劣や善悪はなく
平等だ

ということも、感じました。



今は「多様化」の時代に突入していて
もはや正解がなにかなんて分からない。

だからこそ
混乱している部分もあって
それがこういう答えをださない映画を
生み出してるのかなと感じました。

この人、悪い人だな、
っていう登場人物がいないんですよね。

そういうことも、あるよね、って
みんな憎めない。

今までは
宗教はあやしい、
貧乏な家族はかわいそう、
家柄が大事、
女性は結婚して子供を産むのが幸せ、
などなど…

こうしておけば良い、っていう風な
ある意味「正解」のようなものが
あったと思います。

一方で、

生まれながらに決まっているような
「階層」はあって、
それは抗いようがなかったりする。

2本の映画を通して
様々な階層を生きる登場人物たちを見て、

正解を追い求めて生きるものではない
ということと、
人にはそれぞれ
意思に反して決まっていることがある

ということを

考えました。



たとえば2本立てのこの映画を見たのも
私の意思ではない気がするんですよね。

自由席だったのだけど、
座った席でさえ
選んだようで選んでないんです。

どんな人にも
決まっている出会いや出来事があって、
思考や努力でどうこうするものではない

という気がする、っていう。

全てが完璧に組み込まれているから、
自分の人生を信頼して日々生きればいい。


人生ってそれだけな気がします。

それは諦める、ということじゃなくて、
自分がいる場所を俯瞰しつつ直視すること
なのかなと思うんです。

そうすれば、自然に見えてくる
意味のようなものがある。

私は政治家じゃないし、女優でもないし、
専業主婦でもないし、貧乏でもないし、
金持ちでもないし、オリンピアンでもない。

だけど、
そういったカテゴリに振り分けられなくても
自分の人生はオリジナルだ
と思うことだらけで、
それには全て意味がある
としか思えないのです。

そう自分のことを思えたら、
世の中の全員が、
それぞれにオリジナルに満ちていると感じて
誰かとの比較の無意味さに
笑えてすらきます。



たとえば
「私も3歳から卓球をする環境にあって
オリンピアンになりたかった!」

なんて思わないのも、
そんな環境に生まれてないんだから無意味だし
そもそも私にそうやって生きる意味が
元々ないのです。

それと同じで、
卓球ではない他のことをするための
環境に生まれて、
今の環境もあるってこと。

それはどんな人も、同じで。

だから
生まれ、育ち、家族、お金、外見などで
人を測ることはできないし、

どんな環境や状況にあっても
それぞれ唯一のものであり、
みんな自分でしかその意味を
見つけることはできなくて、
見つけていくしかない。

~世界は等しくあなたをみている~

ということ、なんだなぁって。



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