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二次創作で字書きを1年以上やってみた感想

2022年秋からpixivで夢小説を書いています。2024年6月時点で、1年以上経過し、作品数ももうすぐ50に到達しそうな感じです。
読み専から創作する側になってみて、得た所感を語りたいなと思います。



最初はワクワクしていたが、慣れるとどうでもよくなる

執筆したての時代は、「ついに・・私も作家に・・?」とワクワクしていた。文章を書くことや、ビューやブクマ数が1増えるごとに歓喜していた。頑張ればバズって、天に昇れるんじゃないかと思いあがった。そのために、いいね率が低い作品を出してしまった時はとても落ち込んだりした。自分が書きたいものより、ウケるものを意識してしまったりもする。

しかし私は飽きるのが早い。1年も経過したころには、ブクマ数などがどうでもよくなっていた。いいねなんか、3人もくれればいい方だ。私程度の者が頑張ったところで、4桁数ブクマなんか来ない。例え1000ブクマもらったところで、なんになるのか。お金が貰えるわけでもないし。そりゃあ誇らしいけど。自慢もできるけど。
私がやりたいのは、自分が書き表したい世界を作り上げることだ。感情を叫ぶことだ。お金をもらったり、人から評価されたりすることではないのだ。

とりあえず、他人の評価なんか二の次・・飽きた。自分がどんな作品を書きたいのか。やりたいシーンを書くためにどういう話の流れを作るか。一人で戦っている。応援は大歓迎。パワーになる。
別に売れなかろうが困らない。だって非営利目的でやっているし、生活できなくなるわけではない。これが趣味でやってる創作のいいところである。

意外とアンチは来ない

作家側になることで、アンチに悩まされることがあるだろう・・という思い込みがあった。
作品として世に私の思想を出す以上は、それをよしとしない人がいる。私とは反対の趣味の方から「推しくんになんてことを!」とか、「あなたの作品は気に喰わん!」とか、言われても仕方ないよなあ。と。
これは運の問題だけど、現時点でアンチは来てない。ゼロ。大丈夫、意外とね、アンチ来ないよ。

トラブルが起きないのは、私がいるジャンルがそこまで大きくないことと、私がSNSであまり発信や会話をしてないことが要因なんだと思う。
人と交流すれば、人間関係のトラブルは発生する確率が上がる。好きな人嫌いな人色々人間模様が展開されてく。
だけど、私はそれをなるべく回避しているため、私の作品を気に入ってくれた人とだけ、ほんの少し絡んでいただくことに成功している。
言ってしまえば、アンチが湧くほど作品が売れてないってのもあるかもだけど。いいもん。書きたいものを書いてるだけなんで。売るために書いているのではない。
たまたま、来てないだけなのは分かっている。いつか絶対に壁が破られる日は来るんだろうな。創作活動すること自体がストレスになる日がくるかもしれない。でも、私は並々ならぬ想いから筆をとっている。なんも知らん他人からヤイヤイ言われたところで止められるわけがない。筆は絶対に折りたくない所存である。

なぜかR18と同等、それ以上にヤンデレ系の作風が人気

エロいものこそが最強だと思っていた。けど違う。ヤンデレ系テーマの作品がめちゃ人気なのだ。1度それっぽい作品を書いたところ、エロ作品以上に伸びて困惑した。み、みんな病み系好きなのね?そうなんだ・・

病み系とは、「好きすぎて刺しちゃった」とか、「好きな人を監禁」など、執着を高めて磨いて首を絞めるような仄暗いテイストの作品である。

私は暴力的な描写は苦手なので、あんまりそっちには行けない。乙女ゲーム界隈でいうと、リジェットよりネオロマンス派なんだ。

「好きすぎて何でも言うこと聞く」とか、「両想いになったら全財産渡して結婚を迫る」とか奇行に走るタイプの愛だったら、フィクションとしては楽しいなと思う。でも、単なる加害行動強めだとしんどい。ちなみに、性格に幅のあることで定評のある私の推しは、作品によっては夢主を殴ることがよくあるので、解釈揺さぶられることがままある。

とりあえずヤンデレの人気の高さにビックリした。たまーに気分が乗れば病み系は書くが、痛いことはできない。読者ごめん。

嫉妬に駆られそうになる時

「他人からの評価はどうでもいい」と宣う私だが、完全にそうとは言い切れない。自分の好みじゃない作品がものすごく伸びていると嫉妬してしまう時がある。不可解だからである。←
そんな時は、自分がすでに書いた作品たちを思い出す。私は、私が書いたものが間違いなく好き。これは絶対に自信をもって言える。私は自分の作品が大好きで、これからも楽しみにしているので、他人のイイネ数なんかで惑うことなんか無駄なのだ。ほんとうにそうだ。
自分が生み出した子たちが、私を助けてくれる。感動的。大好き。

年齢指定の描写を書くことになんの抵抗もなくなる

あんまり得意ではないのだが、エロ作品にも手を出している。「なんて破廉恥なことを言語化しているんだ・・」って執筆中は恥にのまれていた。
エロって考える必要がなくできることなのに、我々作家は、それを頭を使って一生懸命表現しなくてはいけない。このジレンマに悩まされた。自分は何をしてるんだろうと放り出したくなることもある。

けど、今となっては、なんかどうでもいい。淡々と書いてる。加齢と慣れとともに全部作業化してしまっている。行為書くことは、花が咲くくらい当たり前のこと。動きなんだよ。私は動きを書くことが相変わらず苦手なんだけどね。
慣れるのはいいけど、だからといって、エロが作業化してつまらなくなるのは避けたい。ちゃんと感動を届けたい。一生懸命初心をリロードして頑張ってる。

表紙を作ることがめんどくさくもあり、楽しくもある

pixiv上では、小説に表紙を付けることができる。基本的に世界観に合わせてテンプレートか、フリー素材を探して加工して作る。
楽しんで作ることもあれば、めんどくさいと思う時もある。最近はめんどくさがっている。
pixivの期間限定表紙を使ってみたい欲で作品を書くこともたまにある。pixivありがとう。

小説を書くことは究極の暇つぶしで健康にいい

わりと私生活の中で、暇な時間ができると、小説をネタを頭の中で練っていることが増えた。というかしなくてはいけないのだ。書きたいから。
そしてこれは、かなりの暇つぶしになるのだ。しかも楽しいし、取材のためにいろんな本や映画ドラマを観たり、出かけたい欲を創出することもでき、人生の栄養にイイ。豊かにできる。
小説を書く前の人生はそういうのがなかった。暇さえあればYouTube見て、しょうもない炎上系ネットニュースにモヤモヤしていた。自分の人生を否定して落ち込んだりもしていた。
しかし今は違う。有意義なことにリソースを割けている実感がある。楽しんで人生をやれてる。ネガティブなことで頭をいっぱいにするよりよっぽどいいのではないかな。
小説の設定を考えるだけで、暇な時間が有効活用できて、人生の軸にもなった。運命に感謝。

作家としての自分と、読者としての自分が同時並行で存在してる

私は「自分が読みたい話を書く」をモチベの一つにしているので、表題の状況が発生する。執筆をすると同時に、「はやく続きが読みたい!」「さっさと書いてくれよ!」と思ってしまう。お前が書くんだよ!って話。

書いても書いても、終わりがない。これは絶望ではない。

私が書きたい理想の夢小説とは「夢主と相手キャラの気持ちの合一を成し遂げ、それを魅せること」だ。
2人の気持ちを描いて、それが生涯にわたって続いていくと確信できるような状況を作れるとなおいい。キャラを考察しまくって、ありえないけど、ありそうなギリギリな点を攻めていく。
全部の作品にこれを適用してはいないけれども、これを目指して創作しているし、書いてきた。
だけど、書いても終わりはない。満足しない。色々な形で、もっと激しく、面白く、斬新にそういうことがしたい。エンドレスなのだ。
エンドレスだけど、苦しくはない。楽しい。生涯にわたって、高めていきたいことがあるって素敵だと思うし、出会えて嬉しいから続けていきたい。

私はこれからもきっと、推したちと夢主の恋物語を、神羅万象さまざまに書いていくと思う。数が多いほど凄いとは決して思わないが、ずっとずっと、百も千も生み出すんだ。

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