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バッドエンドの方が学びがたくさんだから、失敗も素敵だと思うようにしたい

日々、いろいろと考えを巡らせるうちに気が付いたことを語ります。

私にとっての過去とは
私は、自分の過去が嫌いだ。なぜなら過去の自分は今より未熟だし、思い出したくない失敗をしてきたし、なかったことにしたい事柄ばかり目立つからだ。
それゆえ、たいてい直近で1年前くらいのことは、素敵な思い出以外思い出さないようにしているし、友人などにも「昔はこうだったね・・」なんて話もあんまりしない。
幼少期の自分は今の自分とは別人と考えるので、子供のころから変わってないとか、学生のころや、または若い頃の方が素晴らしいのだとか説は受け入れない。
今とこれからどうしたいか。しか私にはない。

でも、それでいいのだろうか。頑張って過ごす今ですら、数年後には私にとって無価値になるのだ。それは悲しいことなのかもしれない。

でも、私は過去が相変わらず好きになれない。
直近また、思い出したくない過去を作ってしまった。一生懸命やって、後悔はしてないんだけど。忘れ去りたい実績を作ってしまった。しんどい。
また捨てたい過去が増えてしまった。この営みは飽きた。なんとかしたい・・と思い、もがいてあることを考えた。

過去の失敗はバッドエンド。バッドエンドの方が、その後得られるものが多いのだから、いいことなのではないか。

私はバッドエンドの物語を味わうと必ずあれこれ考える。

「どうしたら彼らは幸せになれたのか」
「その後どのように生きてほしいか」
「本当にこの物語は不幸と言えるのか。いいこともあるのでは」
「幸せな時間もあったはずだ。それはどこだろう」とか。

後味が強烈で悪いからこそ、なんとか明るくしようとしたくなる。無駄にしたくないし、もやもやして苦しいから。
これこそが、バッドエンド作品の醍醐味だと思う。終わった後に物語の考察をして、何かに活かせるような気がするから。
反対にハッピーエンドは、あんまり考えない。「よかったねえ」で胸がいっぱいになり、満足して本を閉じる。ハピエンほど何も考えないかな。もちろん、ハピエンは好き。私はハピエン厨である。

そこでひらめいた。バッドエンドのよさと、過去の失敗。これを結び付けたら、消したい過去も悪くないような気がしてきた。バッドエンドだって無駄じゃない。ハピエン以上に宝物を運んできてくれるんだ。過去の失敗があるから考えが深まるし、教訓を得られる。人生を豊かにできる。今の自分があるのは、過去のおかげ。

ちなみに、過去すべてが嫌いというわけではない。例えば過去書いてきたnoteや、小説などは宝物。成功体験も確かな宝物だ。
ただ、生きていれば、振るわなかった悲しい経験も積むことになるから、私が捨てたい過去とはそっちの方である。それでもあんまり過去に浸ることはしないようにしてる人間だ。私は物事がうまくいかないと自己否定し、過去から人格から全部一度なかったことにする思考をとるので、それが絡んでいる。
過去を大切にできる人は凄いと思う。どうしたらポジティブになれるのだろうか。どう考えても私は過去なんか捨てたい。失敗は苦しい。

挑戦することはいいことだけど、失敗したときの痛みと過去、辛いなあ。それでも生きていかなければならない。数々のバッドエンドを踏みしめて歩かなければいけない。
人生とは?なぜ私は生かされているのか。よく分からない。

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