つゆ

梅雨の空を見上げる巫女・五の章(本文)

五の章 決意と禁忌、そして… 

 つゆは目を覚ました。隣にはつゆの左手を力強く握った静鶴の姿があった。静鶴とつゆは、少し離れた前方で倒れ伏している彩芽の姿を見つけた。煙羅煙羅が業火を放った瞬間、静鶴は防御の陣を張り、つゆをその中に引き入れていた。静鶴は彩芽も守ろうと、彼女の腕を掴もうとした。しかし彩芽は素早く前に進み出て、その身を盾にして煙羅煙羅の発した業火に立ち塞っていたのであった。
「彩芽、しっかりしなさい!」
静鶴は叫ぶ。しかし彩芽の着物は激しく焼け散っていた。巫女の装束に込められていた防御の力によって最悪の事態は逃れていたようだったが、失神しておりこれ以上の行動は不可能なことが誰の目にも明らかであった。 薄れゆく意識の中、彩芽はつゆを連れ帰った時のことを思い出していた。
『あなた、大丈夫?怪我は無い?』
『梅雨の頃に出会ったから『つゆ』、そう呼ばせてもらうわね。』
『つゆ…』・・・・・「つゆ!」
奇跡的に彩芽は意識を取り戻した。彼女のつゆへの強い想いがそうさせたのだろうか?しかし彩芽は満身創痍であり、荒く息を吐き、体をふらつかせながらゆっくり立ち上がるのがやっとであった。
「煙羅煙羅、絶対に許さない。私の手で倒す!」
「瀕死の小娘に何が出来る。他の娘共々、即刻引導を渡してやるわ!」
煙羅煙羅の煙の体の中から再び激しい光の塊が現れた。あれをもう一度受けては煙羅煙羅の言う通りになってしまう。静鶴はそう思った。しかし彩芽は違った。つゆを振り返り、優しく、決意に満ちた声で凜と告げた。
「つゆ…あなたは私が守ってみせるわ。必ず、ね。」
彩芽は再び煙羅煙羅を正面に見据え、精神を集中させ両腕を前に突き出し、指先で複雑な印を組み始めた。同時に人語とは思えぬ音階の詠唱を始めた。
「それは…もしかして!止めなさい、彩芽!自分の身を犠牲にするつもり!」
静鶴は制止しようと彩芽に駆け寄った。しかし彩芽の周囲に輝く円陣が現れ、静鶴を弾き飛ばした。彩芽はただひたすら詠唱を続けた。
「やってみるがいい、小娘。無駄だがな。」
煙羅煙羅の挑発にも乗らず詠唱を続ける彩芽。その音階は時には高く響き、時には地を這うように低く響いた。足は震え、立っているのがやっとのはずなのに、詠唱には力強さが宿っていた。 やがて、煙羅煙羅の周囲に異変が起こった。光の輪が煙羅煙羅を包むと同時に、後ろの木々や山々が歪んで見えるようになった。静鶴には分かっていた。あれは数年前、彩芽を巫女として送り出す際に、決して行使してはならない禁忌として授けた秘術であった。全身全霊を残さず振り絞ることで、ある奇跡を起こす。しかし代償として自身の身を確実に滅ぼすものであった。 煙羅煙羅を包む光の輪はやがて渦と化し、空間の歪みは誰の目から見ても異常であった。 「こ、これは…、なぜだ、渦に引き寄せられる!」
煙羅煙羅は初めて驚愕の声を発した。 彩芽の持つ力は気象や空間、地脈を操る。その力を限界にまで昇華させ、この世ではない別の世界に通じる穴を作る、それが彩芽の秘術であった。
「こ、小娘め、よくも!」
煙羅煙羅は光の渦の中へと吸い込まれ、脱出する事も叶わずそのまま消滅した。同時に、彩芽は詠唱を止めた。光の渦も輝く円陣も消え、彩芽は地に倒れ伏した。 「彩芽!」
「彩姉!」
誰の叫びも彩芽に届かなかった。


朗読はこちらから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?