つゆ

梅雨の空を見上げる巫女・四の章(本文)

四の章 届かぬ刃と失われる希望

姉妹は突然の出来事に対し何も出来ず、ただ倒れたつゆの方を見つめるのが精一杯であった。辺りに溢れていた膨大な気は消え去っていた。しばらくして、静鶴はつぶやいた。
「まさか、これが目的だったなんて…。」
「姉さん、それはどういうこと?」
すぐにつゆの体に異変が起こった。倒れ伏した背中から煙が渦のようにとぐろを巻いた。煙の固まりはゆるゆると上昇しながら、次第にその色を濃くしていった。
「我は煙羅煙羅。地獄の業火より生まれしもの。」
「まさか、お前が…。」
静鶴は絶句した。煙羅煙羅は煙と炎の妖で、普段は自ら選んだ少女の心の中に潜み隠れている。しかし一度現れれば、その煙の体で集落一つを瞬時に包み込んで地獄の業火で焼け野原と化してしまう。そして退けようにも、すべての刃はその煙の体を貫くことができず、あらゆる退魔師の術は為すすべも無く躱されてしまう。煙羅煙羅は静鶴が今まで戦ってきた妖を凌駕する存在であった。彩芽も言葉を失っていた。
「まさか、つゆの中にそんな妖が潜んでいたなんて…。もしかして隣町の住人が彼女を忌み嫌っていたのは、このことに気づいていたからなの?」
彼女たちからやや離れていたところで倒れ伏していたつゆは、意識を取り戻した。全身の力が抜けたかのような脱力感を感じたが、ゆっくりと身を起こした。そして彩芽と静鶴、煙羅煙羅の間に満ちた張り詰めた空気に息を呑んだ。
静鶴は怒気を込めて煙羅煙羅に問う。
「貴様、古の退魔師より二度と復活が叶わぬように強力な封印を施されたはず。どうやって解いた!」
煙羅煙羅はふざけたように軽く答えた。
「お前たちが姉妹喧嘩をして吐き出した気が、封印を解くのに充分な量だったからだ。娘共のお遊びにしては上出来だな。」
静鶴はこの言葉に激しい怒りを覚え、薙刀を繰り出した。
「散れ!煙羅煙羅!」
彼女の薙刀は、あたかも何本も同時に煙羅煙羅に向かって振るわれているように見えるほどの速さであった。しかし、切っ先は煙羅煙羅を貫くものの、文字通り煙を切るがごとくであった。
「無駄無駄無駄ァ!」
煙羅煙羅は全く動じず、逆に煙を凝縮した礫を静鶴に放った。静鶴は薙刀を振り回して躱したが、幾つかは彼女の着物を容易く切り裂き、肌に傷をつけた。
「姉さん、下がって!」
彩芽は静鶴の前に立ち、杖を左手に持ち替え、右手を煙羅煙羅に差し出した。すると大きな雷の塊が現れた。
「はっ!」
彩芽が気を込めると、雷光が一直線に煙羅煙羅に向かって迸った。それは瞬時に煙羅煙羅を包み込み激しい光を発したが、すぐに煙に包まれ消滅した。そして、煙羅煙羅の体が一回り膨らんだ。
「無駄無駄無駄ァ!雷は我が血肉と成すことが出来る。お前の攻撃は全くの無駄だ!」
「ならば!」
次に彩芽は杖を地に突き刺し、両の掌を合わせた。すると静鶴と対峙した時の何十倍もの、台風の如く荒ぶる風が渦巻き、煙羅煙羅を襲った。しかし、一度は暴風で消し飛んだかに見えた煙羅煙羅はしばらくすると再び集まり、元の姿に戻った。彩芽は歯噛みするしかなかった。彼女の術は巫女として人々を守り育むものである。雷も風雨も確かに厳しいものだが、大地に恵みをもたらし人々の暮らしを豊かにする。ただ人を傷つけるのみの術を彩芽は持っていなかった。
「小娘共よ、私も忙しいのでな、けりをつけさせてもらうぞ。」
煙羅煙羅の体から激しい光の塊が生まれた。炎とも雷ともつかないそれは、煙の体の中を一巡し、そして大地に叩きつけられた。閃光が炸裂し、辺りは地獄の業火に包まれた。姉妹とつゆは逃げる暇もなく、炎の中に身をうずめていった。

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