梅雨の空を見上げる巫女・三の章(本文)
三の章 紅葉と風雷
つゆはその日も日課通り境内を掃き清めていた。季節は梅雨、若葉の茂る季節である。にも関わらず、彼女の持つ箒の先に、季節外れの赤い紅葉の葉が一枚舞い降りて来た。つゆが不思議に思っていると、風に乗って何枚もの紅葉の葉が宙を舞い、つゆの足元に落ちた。風上を見ると、赤い着物に身を包んだ長い髪の美しい女性が立っていた。
「私は静鶴、彩芽の姉です。今日はあなたに会いに来ました。」
つゆは、今まで人に訪ねられることも無ければ、女性に見覚えも無かった。しかも彩姉の姉と名乗っている。慈愛に満ちた彩姉と違い、静鶴と名乗る女性は、有無を言わせない厳しい雰囲気に包まれていた。
「あなた、隣町育ちね。今すぐ私と来てほしいの。あなたにはあなたが知らない危機が迫っている。それを未然に防ぐのが私の務めです。」
静鶴の度重なる言葉につゆは気が動転した。危機?何の事?つゆは恐ろしくなり、後ろへと一歩引いた。すると静鶴はすっと前に進み、つゆの手を取った。
「さあ、私と来てもらいます。」
あまりの恐怖につゆは声が出なかったが「彩姉、助けて!」と強く念じ続けた。するとつゆの心の叫びを聞いたかのように、彩芽が現れた。
「姉さん、何やってるの!」
「彩芽、この子にはとてつもない妖が憑いているわ。尋常じゃない気配をたどって私はここまで来たの。こんな近くにいながら気が付かないなんて…。」
「姉さん、つゆは純真よ!妖なんて憑いていないわ!」
「問答無用、この子は連れて行きます。」
静鶴はつゆの手を強引に引こうとした。その瞬間、彩芽は右手を前に差し出した。すると彼女の身長ほどもある長い木の杖が現れた。彩芽はそれを握ると、意を決して言った。
「たとえ姉さんであってもそんな理不尽は許しません。つゆの手を離して!」
「彩芽、あなた本気ね。いいでしょう。久しぶりに稽古をつけてあげます。」
静鶴はつゆを掴んでいた手を離した。同時に虚空から真っ黒に染まった薙刀が現れた。静鶴はそれを掴み、彩芽に言う。
「いつでもいらっしゃい。」
静鶴は薙刀を下段に構えた。すかさず彩芽は杖で打ちかかったが、静鶴は軽くそれを払った。その直後すっと前へ歩を進め、薙刀を彩芽に対し横から振り払った。対する彩芽は杖を縦に構えて薙刀を防いだ。杖と薙刀がぶつかった瞬間、激しい音が炸裂した。
「体術はなまっていないようね。」
静鶴が言うや否や、彩芽は杖を横に振るった。すると杖から暴風が生まれ、静鶴に向かって吹き荒れた。静鶴は上空へ跳ね上がり、境内の木の上に場所を移した。静鶴は冷酷に告げる。
「もう一度言うわ、その子を渡しなさい。姉妹で無駄な争いはしたくない。」
「姉さんこそつゆを連れて行くのを止めて!この子は何も悪くない!ずっと私が傍で見てたんだから!」
静鶴は彩芽の返答を聞くと、再び地面に舞い降りた。
「彩芽、これは現世の危機なのよ。あなたが必死に止めても、私は私の責務を果たすのみ。」
「姉さん。もう聞かない。何があっても私はつゆを守る。それだけよ。」
彩芽は固い決意の言葉を静鶴にぶつけた。それに対し、静鶴からの返答は無かった。その代わりに静鶴の纏う気が、先程の冷静なものから、強烈な怒気を孕んだものに変わっていった。そして炎の如く彩芽を睨みつけた。相対する彩芽は怯まずに静鶴を睨み返した。杖に気を込めると、雷光が杖に満ち、黒い雲が空に立ち込めた。風と雨と雷を手足の如く操る彼女の能力が発現したのである。
姉妹は互いに睨み合ったまま動かなかった。つゆには、静鶴の怒気も彩芽の姿も今まで感じたことのないほど恐ろしいものであった。つゆは声も出せないままただ呆然と立ち尽くした。それは数分の間にも、一秒にも満たないようにも感じられた。
境内に静鶴と彩芽の二人の膨大な気が渦巻いていた。その片隅でつゆは為す術も無く震えていた。心の中はただ恐怖に満ちていた。すると突然頭の中に、ここにいる者以外の誰かの声が響いた。
「その恐怖、取り払ってやろうか。」
つゆは辺りを見回した。声の主は続けて言った。
「ふふ、これだけの力が集まれば、忌まわしき封印を破るなど、いとも容易い。」
声の主がそう言い終わると、姉妹の間に満ちていた気の固まりが突然つゆに向かって迸った。つゆの体が太陽のように激しく輝いた直後、彼女は叫ぶ間もなく気を失った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?