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他者の理解って、どゆこと??➅

※このシリーズは、他者の理解について、メンヘラ気味のオバさんが、世の中でうまく生きられるようにと、考えを深めていく記事です

今回は、前回取り上げた2つの性格を書いていきます
紋切り型(ステレオタイプ)と、パラノイアです
わたしはまさに、これだと思います

パラノイアは、他者の意見を聞き入れることに、ひどく抵抗します
そのため、解釈をなかなか変えられないのです
あの人は、ひどい…となったら、そのあともその人はひどい人になり、固定した見方が続きます
しかし、人間は多面的です
一側面だけではありませんでした
わたしもそうなのですが、一人ひとりに魑魅魍魎があります
そして味わいのように、表に顔を出すものです
わたしはパラノイアのままなのですが
人間関係には、寛容は必要だなぁと…出来ていないのですが、思います
パラノイアの人は多い………

紋切り型(ステレオタイプ)は、
わたしは時代の影響や、神経症など精神的な影響があるのかなと考えています
まだ神経症の本は読んでいないので、わたしの感覚的な想像なのですが…
秩序や固定した社会が、社会の安定として求められ、それゆえ個人の意識にも影響を与えてしまったんじゃないかなぁと…
だから、責められるばかりではないなと…

しかし、周囲が困るのは明白でした……
息苦しくて、受け入れられるものではありませんでした……それこそが、健康な人間の意識であることでしょう。。
寛容になる
パラノイア同様ステレオタイプにも、求められたのかもしれません

〜こっぷさんの補足〜
パラノイアは、妄想を主症状とし、自分の殻にこもるものです(妄想と書くと不穏に感じられますが、人はみな妄想をしていると言われます。個人やその観念が理解される(了解される)人々において、それは趣味など、現代社会を生き抜く必要な力になっているように思います)。

今回は、羅列した記事になってしまいました

社会に出ている人で、傷つけることを躊躇わない人は、多いように見えます
それくらいじゃないと、社会でやっていけない、かのようです


利他の動画にもありましたが、
利己的という自分だけ食べられれば良いというのと、人を別けるというのは、どこが違うのだろうか


わたしは一人の人間ではありますが、自分の人生と社会の推移を見つめたいなと思います

最後まで読んで下さり、ありがとうございました