こんな世の中で働きたくない
誰かの犠牲で成り立った世の中
最近ちらっと話題にのぼったこのニュースを 皆さんはご存知でしょうか?
仕事中に体調不良や不慮のトラブルに見舞われた際は、恥となり処分されて当然なのだろうか。
「プロとしてあるまじき行為だ」ってどういうことだかよくわかりませんが、プロである前に一人の人間ではないだろうか。人間だれしも生理的現象はあるし、体調を崩すことだって大いにある。人間が作った機械だって時には故障をする。それと同じことではないだろうか。
では、プロとはいったい何?
専門家のこと。 専門家らしく、ある分野について、高い能力や、高い技術を有し、質の高い仕事をする人。 (アマチュアのように、無報酬で、趣味としてやっているのではない、という意味で)その人にとって主たる収入を得るために特定の仕事をしている人。 Googleより
勿論、専門家として技術や能力を提供して報酬を得る(=仕事)であることに変わりはない。
ですが、この取り上げ方と処分のしかたはいかがなものかと・・・。
自分の思い出を振り返って
かく言う私も、昔は幼児教育の現場に足を踏み入れていた身なので如何にそのプロと呼ばれる専門性を求められる世界が厳しいものかは知っています。その仕事も好きでなったのでそう言った世界であることはよくわかっていたものの、頭でわかっているのと実際経験するのでは話がまた別。
大人数の子どもを限られた人数で対応しなければならないため、気軽にお手洗いに行こうということが出来ないのです。子どもは目を離したすきに何をするかわからない。なので、自分がその場から離れる際は、周りに声を掛けて了解を得なければならない。
その実情を知らずして、保育者は子どもと遊ぶだけの楽しくて楽な仕事と世の中の多くの人(日本社会)が認識している事に悲しみと怒りを覚えるのは言うまでもないですが。
まとめ
そう言った誰かの犠牲があってして回る世の中ってどうですかね?心地いいですかね。私は嫌です。
冒頭の記事も、当事者を「プロとして恥」「処分検討」という前にそうやって回している世の中や会社を恥じて改善すべきではないでしょうか。そうでないと専門職の人材不足は一向に改善されないのではないだろうか。
勿論、ほんの数時間運行する新幹線などに運転手複数名はある意味無駄にもとれるかもしれません。ですが、一つの仕事の責任を一人に背負わせるというのは違うというのは紛れもない事実。
「プロとして社会人として体調管理ができないのか」と言われたら一理あるとは思います。ですが、体調不良って誰しもなりたくてなっているわけではありません。
その時の責任と役割をどの様に分担するのかそこが重要なのではないでしょうか。
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