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「ただ見守ること」のむずかしさ

私は子どもにも、大人に対しても、心配すると口うるさく言いがちだ。

子どもが学校に行きたくない、勉強する気にならない、大切な人が悩んでいるかも…そんなとき、つい「こうしたら?」「ああしたら?」と口をはさんでしまう。

そんな話を知人にしたら「自分なら、明らかに間違っているなら言って欲しい。だけど、例え、間違っていたとしても大丈夫っていう気持ちにさせて欲しい」と言われてハッとした。

自分が悩んでいる時だってそうなんだ。ライターとして、何をテーマにしていこうかと悩んでいたとしても、その答えは自分で出すしかない。書けないでいる私を、悩み続ける私を、認めて欲しい。待っていて欲しい。いつか書けるその日まで…そう思うだろう。それが相手を尊重して、信じるってことじゃないかな。

不登校やひきこもり当事者の人もそう思っているんじゃないか。ふとそう思った。

だけど、「ただ見守ること」ってもどかしくて、どうにかしたいとあがいてしまう。そんなときは、自分の仕事や趣味に打ち込むしかない。親子だろうとどんなに親しい関係でも、私はその人の人生を生きることはできないのだから。

最近、あいである広場に全く書いていなかったので、久しぶりに記事を2本アップした。最近、原作の仕事や書籍に時間を取られていて、ルポ記事を書いていなかった。

私が尊敬する支援者の方への3年ぶりの取材のルポ記事なのだが、3年前の自分と知識が違い過ぎて驚いた。質問できる内容が全く違う。公開したら読んでください。27日(土)と30日(火)の10時に公開します。

26日(金)10時には村田らむさんの「精神病院に潜入取材をしたら出られなくなってしまったライターの話|『人怖 人の狂気に潜む本当の恐怖』のボツになった話」という記事を公開します。

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村田さんの新刊のこぼれ話で、あいである広場にぴったりな記事!この新刊の中に私自身の黒歴史も掲載されているので、ぜひ、予約してください♪




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