見出し画像

削ることから伝わること|読者が考える「余白」を作る

私はルポ記事を書いているのだけど、先輩売れっ子ライターさんや編集さんに「この1文はいらないね」と削られることがよくあった。
当時の私は「1~10まで書かないと気が済まない」症候群だった。今でもその癖が抜けきったかは怪しい。なので、納品の前にする作業は「削る」こと。そこに精力を注ぐ。


実際の記事から考える「余白」の大切さ

昨日、日刊SPA!より「ヤバいフランチャイズ本部」に共通する20の特徴。社員が偽名、SNSで散財アピールetc.」という記事が公開になった。

法律がなければ、規制もできない。方針から契約書・マニュアルなど、フランチャイズ本部側の言いなりにならざるを得ない。

日本にはフランチャイズに特化した法律がないので、圧倒的に本部有利な契約が交わされてしまう……私個人はひどいと思います。

だけど、ここで私の感情を入れて

法律がなければ、規制もできない。方針から契約書・マニュアルなど、フランチャイズ本部側の言いなりにならざるを得ない。酷い状況だ

と書いてしまうと「酷いよね!」と読者に押し付けることになってしまいますよね。酷いかどうかも含めて、読む人が考えることなので、「私のお気持ち」の部分は削ります。

写真にも「余白」は必要じゃない?

同じような理由でこんなアルバムを作ってみました。

このお父さんたちはいったい何をしているのか?
仕事で疲れてる?
何のレコードを選んでいる?
何で集まってる?
何を話している?
と想像できる余地があるので、それぞれの「お父さん」がどんな人なのか
一切分かりません。
だけど、それだからこそ面白いと思います。
何気ない「お父さんの日常」から何を感じるかは観る人により変わります

各種「運動」に感じること

最近、共同親権関係の記事を書いてから、共同親権推進派の方たちに「どういう風にアピールしたら広まるか」と聞かれたことがありました。

私は「削る」ことが大切だと思いました。

これは動物愛護運動や障害者差別撤廃運動など「運動」全般に言えることですけど、とにかく「現状はこうだし、ああだし、とにかく賛同して!」と語り過ぎが多いと思うんですね。

けど、相手が同じ温度差で考えてくれるかは別問題です。

むしろ一方的に20ページの「自分の気持ち」をつづって送り付けること(よくあります)その余白のなさから「怖い」という気持ちにつながりやすい。

何かを伝えたいのであれば情報を削ることが大切

私はそう思います。簡潔に「こんな話があるけど興味ありませんか?」
と概要をまとめてくれたほうがよほど取材する気にもなるし好奇心をそそられます。
A420枚に「お気持ち」が書いてあるとそれだけでお腹いっぱい。

皆さんはどう思いますか?

※お仕事の依頼は下記からお願いします


この記事が参加している募集

仕事について話そう

フリーランスなので応援してもらえるとありがたいです!いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!