ホワイトソースは教えない
全てを包み隠さないことが愛である、とは思わない。
だとしたら、この気持ちは何と表現すれば良いのだろう?
と、ホワイトソースを作っているときいつも思うのだ。
ひとから得意料理は?と聞かれるといつも答えに窮していた。
どれもそこそこ、ほどほどに楽しく作って食べるので得手も不得手も意識したことがあまりなかったからだ。
大体好みのおいしさで、だけど大体お店で食べた方がそりゃ美味しい。
そこで思い立って夫に尋ねてみたのだった。私の作る料理で一番美味しいの、なに?
夫は少し考えて、ホワイトソース、と答えてくれた。
具体的にはホワイトソースを使ったあれこれ、例えばグラタン例えばラザニア例えばドリア。
ホワイトソース、好きだな〜。
なるほど、ホワイトソースか。
確かに手の込んでいる風だがあくまで手の込んでいる「風」を吹かせることができるというか、とても簡単で作りやすくそう言う意味でも私も大好き。
バター、小麦粉、牛乳。混ぜてトロンとした魔法のソースは冬のあれこれを何でも美味しくしてくれる。
言ってみれば冬の魔法だと思っている。さしずめ我が家で私は雪の女王ならぬホワイトソースの長である。
それ以来なんとなく、得意料理を聞かれた時はホワイトソースを使ったものを答えるようになった。
ところで急に惚気るが、夫は何でもできる人だ。
というか何でもできるようになってくれた。家事も応急処置も料理も、知り合ってからめきめきと腕を上げて今はどれも私より上手。
教えたことのほとんど全部を覚えて、できるようになってくれた。
きっといっぱい頑張ってきてくれたのだろうと感謝でいっぱいである。
同時に不安になった時があった。
この人に私は必要なのだろうか?
何でもできるようになって、私が知ってることも全部知って、
そしたらなんか、私がいる意味ってあるんだっけなんて思ったのだった。
だけど隠し事も助けないことも性に合わない。
それならば、と取った手段が、ホワイトソースのレシピだけは教えないということだった。
何でも伝えるし、何でも一緒にやるし、
だけど一番好きと言ってくれたお料理だけは教えない。
それが存在意義を示せるたったひとつの手段だから・・・。
思い返すとマジ当時のァタシかわい〜(笑)みたいな気持ちになる。
今ならわかるけど相手の足りないところを補うだけが存在意義ではないし、
相手にないものを教えてあげることだけが意味のあることでもない。
ホワイトソースを教えたところで私の価値は変わらないし、
彼にできることが増えるのは嬉しいことだ。
でもなんとなく、まだ教えてない。
ついそのままになってというより、これだって馬鹿げているけど、
いつかひとりでグラタンとかラザニアとか食べる時がきたら、それが私の不在を想うタイミングになってほしい。
それが家なのかお店なのかわからないけど、何でもできちゃう素敵なあなたが
そういえばホワイトソースは作れないな、と私のことを思い出してほしいなと思っている。
気持ち的には「いつかの未来に訪れるしっとり寂しい感動話」とかではない。
私たちはすごく自由な暮らしをしているのでお互いの不在も多くて、
お互い割と何でもできるからこそ好物にあやかって私のことを思い出してほしいな〜くらいの感じである。
たぶん彼はググって作れるようになるしその味は私の作るものとそう変わらず美味しいだろう。
だけど教えずにいたささやかな意地みたいな、思い出してほしいのはそんなことだったりするのだ。
今夜もレシピは内緒でラタトゥイユと重ねて夏野菜のラザニアにして食べた。
夏だってホワイトソースはおいしいし、夫との食卓は楽しい。
ホワイトソース、大好き。
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