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おっぱい飲むのに練習が必要だなんて、聞いてない!

長男は母体側のアクシデントによって、予定日より1ヶ月半ほど早くこの世に出てきてしまうことになった。

ほんの少しだけ早産児で、体重が足りなくて、彼はNICU、私はMFICUに入院していた。

助産師さんが授乳指導をしてくれて、頑張るのだけど、小さく生まれた彼は吸う力が弱くて、ちっとも飲めるようにならない。

結局入院中に授乳ができるようにはならなくて、退院してからは練習しながらミルクと併用した。

何度も何度も諦めたくなって、もうミルクにしてしまおうと思ったけど、おっぱいは張るし、搾乳機で搾乳しても乳腺は詰まるし、どうにか頑張って飲めるようになってもらおうと悪戦苦闘した。

おっぱいなんて、本能で飲むんじゃないの?練習しないと飲めないなんて、聞いてませんけど💢!?

そんなこんなで泣きながら、乳首擦り切れながら、赤子が泣くと痛みに慄きながら、精神崩壊寸前まで頑張って、やっと、スムーズに飲めるようになった瞬間の、あの感動と言ったら。


何もしないと、赤子は死ぬ。

死なないように栄養を与え、清潔を保ち、安全な環境で保護する。

動物としての当たり前のことが、こんなに大切なことなのだと、この時知った。

妊娠して出産する、という一連の生物的な流れは、文化的な生活を営んでいる現代女性には、かなりキツい体験なのだと思う。私はおそらく産後鬱にはならなかったけど、その寸前だった。何一つとして自分の思い通りにならないことの辛さと言ったら。

我が子は可愛い。愛しい。

でも、彼とのコミニュケーションは、これまで経験したことのない未知の領域で、頭で考えることを前提に組み立てられている自分の常識が、全く通用しない。

そして、私がおっぱいをあげないと、死ぬ。

母親こそが、本能で与えるのだ。彼が本能で飲むのではなく。

子育てを、本能に従うことにしたのは、おそらくこのときからだ。子供には、「死ぬな」と教えた。それ以外のことは、可能な限り本人の意思に任せた。授乳期を過ぎて、自分で食事を取れるようになって、子供は勝手に育っていく。彼の本能の赴く方向へ、勝手に向かっていく。

私は、彼が少しずつ私から離れていくことを、私が彼に施すことが減っていくことを、慈しんでいる。


彼が生まれた日、「いつか必ず、私の気に入らない女を連れてくるのだから、覚悟せねば」と思った。その日がもう、目の前に近づいてきている気がする。

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