祖父の死

産院で無精子症の診断を受け
総合病院を受診する2日前
大好きな祖父が死にました。

肺がん末期のため、最期はとても苦しむだろうと言われていましたが、眠るように穏やかでした。

祖父は要介護5です。
体としては、ベッドに寝たきり生活で、車椅子にうつるのも大変なほどでした。
認知症で妄想や幻覚はありつつも、まだまだ私たちのことはよく覚えていましたし、元気でしっかりしている厳格な性格で、孫にはとても弱い可愛らしいおじいさんでした。

自宅で介護をしていました。介護の資格を持つ私がケアマネージャーやヘルパーと連携を取り、娘である私の母が日々家に通い、同居している祖母が面倒を見るという体制でした。

予定の合った、暖かい小雨の日に、釣りが大好きな海育ちの祖父のため、家族みんなで協力して、なんとか海まで連れて行きました。祖父はカモメを見て泣きました。
そして、いろいろな話をする中で、私のもとに産まれてくるであろうひ孫を楽しみにしていることも教えてくれました。

そして、その数週間後、体調がすぐれないと聞き、予定より早く会いに行きました。虫の知らせというものでしょうか。私は1時間半の道中を仕事終わりに珍しく向かいました。

祖父の家に到着すると、祖母は居間でテレビを見ていました。祖父の顔を見て、寝ているだけかと思い、起こしてしまおうという孫のいたずら心で声をかけた私が、祖父の最期を見つけました。眠るように穏やかな最期でした。

死亡診断が下されたあとも、本当は寝ているだけなのではと思い、頭を触ったり「起きて」と言ってみたりしました。まだ実感はありませんが心に穴は空いています。覚悟はしていたのだけどな。

神様がいるなら、なぜこんなにもたくさん一度に試練を与えるのでしょうか。悲しいこと、苦しいこと、人生で1度しか経験しないようなことがいっきに起こる月でした。

祖父にひ孫を見せたかったなと思うのです。お空から見守っていてくれるよ、とか、祖父が生まれ変わってあなたのところへ来るよ、などと周りの親族は言うけれど、祖父の生まれ変わりは面白すぎて嫌ですし、私は私の子どもを祖父に抱かせたかったのです。祖父にひ孫の存在を糧に長生く元気に生活して欲しかった。

今週、四十九日の法要でした。来週納骨です。

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